乙女の港

『乙女の港』とは

『乙女の港』は、一見すると川端康成の単独作品として知られていますが、実際には、川端が当時指導していた新人の主婦作家・中里恒子の草稿を基に、川端自身が校閲、加筆、手直しを加えて完成させた合作であることが明らかになっています。この事実は、新版の『川端康成全集 補巻2』に収録された二人の往復書簡から判明しました。

小説は、全10章で構成され、横浜のミッション系女学校に通う女学生たちの友情や恋愛模様を描いています。特に、上級生と下級生が擬似的な姉妹関係を結ぶ「エス」という風習が、物語の重要な要素となっています。作中では明確に地名が書かれていませんが、描写から横浜市が舞台と考えられています。1937年から翌年にかけて少女向け雑誌『少女の友』に連載され、大変な人気を博し、翌年には単行本として出版されました。初版から5年で47刷に達したことからも、その人気ぶりが窺えます。

中里恒子の草稿と川端康成の役割

『乙女の港』の成立には、中里恒子の存在が不可欠でした。彼女の草稿に川端が手を加える形で完成した本作は、二人の作家の才能が融合した作品と言えるでしょう。川端は、中里の才能を早くから認め、執筆指導をしていました。中里は川端に全幅の信頼を寄せており、自らの下書きを託していたようです。二人の間には、以下のような書簡のやり取りがありました。

1937年9月14日付、川端康成から中里恒子へ
1937年9月18日付、中里恒子から川端康成へ
1937年10月16日付、川端康成から中里恒子へ
1938年9月17日付、中里恒子から川端康成へ

中里の草稿の一部は、彼女の死後、1989年に発見され、神奈川県近代文学館に所蔵されています。

作品に対する様々な見解

この作品の成立過程については、様々な意見があります。内田静江は、川端が筋を指示し、中里が書き、川端が徹底的に手を入れているため、中里の代作ではないと主張しています。一方、小谷野敦は、筋立ては中里によるものと推測し、中里恒子作と表記すべきだと主張しています。また、下條正純は、中里が横浜紅蘭女学校の卒業生であることから、中里自身の体験に基づいた女学生文化や言葉遣いが反映されていると指摘しています。

この問題を研究している中嶋展子は、発見された中里の草稿や二人の書簡を分析し、川端が新人作家を導くという師弟関係に似た交流があったと指摘しています。彼女の分析によると、『乙女の港』は中里による下書きがあったからこそ成立したものの、川端による改稿によって文章表現が改善され、作品に「広がりや彩り」が添えられ、テーマも明確になったと言います。一方、大森郁之助は、川端が中里に腹案を伝えていたかどうかは不明としつつも、川端の作品に同性愛的なモチーフが見られることから、『乙女の港』の同性愛モチーフは川端の発案だった可能性も示唆しています。大森は、中里作が濃厚な『花日記』と比較して、『乙女の港』の方が同性愛要素が強く、軽井沢の部分は川端の加筆であることなどを根拠として挙げています。さらに孫昊は、文章のパターンから共同執筆であると結論づけています。

あらすじ

物語は、ミッション・スクールに入学したばかりの大河原三千子が、上級生の八木洋子や克子から特別な感情を向けられることから始まります。三千子は、クラスメートの経子から、学校の慣習である「エス」について教えられます。洋子に惹かれて姉妹のような関係を築いた三千子ですが、洋子の悪い噂が校内で広まり、二人は苦しみます。夏休みに軽井沢を訪れた三千子は克子と再会し、彼女にも惹かれるようになります。夏休み明け、克子は三千子との親密さを誇示することで洋子を苦しめます。三千子は、自分を巡って対立する二人に心を痛めます。

主要登場人物

大河原三千子: 1年生。人形のような可愛らしい容姿の持ち主。洋子一途だが、克子にも惹かれる。素直な性格で、他人の悪口を嫌う。
八木洋子: 5年生。優等生でフランス語が得意。暗い過去を持ち、憂いを帯びた雰囲気を持つ。牧場主の娘で、恵まれない人々を思いやる優しい心の持ち主。作中で実家は没落する。
克子: 4年生。快活で社交的、スポーツが得意。負けず嫌いで独占欲が強い。洋子をライバル視するが、改心する。
経子: 三千子のクラスメート。学校の事情に詳しい。三千子が洋子を姉に選んだ後は、つらく当たる。

主な刊行本

『乙女の港』は、様々な出版社から刊行されています。以下はその一部です。

実業之日本社（1938年）
ヒマワリ社（1946年）
東和社（1948年、1949年）
ポプラ社（1952年）
ひまわり社（1956年）
図書刊行会淳一文庫（1985年）
* 実業之日本社文庫版（2011年）

この作品は、少女小説という枠を超え、複雑な人間関係や同性愛的なテーマを描いた文学作品として、今もなお多くの人々を魅了しています。

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