井上清 (時計職人)

井上清：札幌時計台を半世紀守り抜いた「お医者さん」

井上清（いのうえ きよし、1897年4月 - 1996年9月30日）は、札幌のシンボルとして親しまれる札幌時計台の保守を半世紀にわたり無償で行い、「時計台のお医者さん」と呼ばれた時計職人です。

生涯

職人への道

1897年（明治30年）4月、井上清は北海道札幌郡広島村（現在の恵庭市）に生まれました。小学校卒業後、進学ではなく職人の道を選び、16歳で時計店に奉公します。山口県から北海道に入植した祖父を持つ家庭で育ち、旧国鉄職員だった父の仕事に興味を持てず、機械いじりに熱中したことが時計職人への道を志すきっかけとなりました。1928年（昭和3年）には独立し、札幌市中央区に「井上時計店」を開業。持ち込まれる時計の修理に没頭する日々を送ります。

札幌時計台との出会い

時計がまだ普及していなかった時代、札幌時計台の鐘の音は市民に時を知らせる大切なものでした。井上も幼い頃からその音に親しんでいましたが、彼が開業した頃には時計台は故障したまま放置されていました。同業者に修理を呼びかけても、「金にならない」と断られるばかり。開業間もない井上自身も、日々の仕事に追われていました。

しかし、1933年（昭和8年）の秋、時計台の文字盤そばのガラス窓が破損しているのを見つけた井上は、「雨風で機械が錆びてしまう」と危機感を抱き、札幌市役所に修理を直訴します。「予算がない」という役人に、井上は無償での修理を申し出ました。それでも手続きが必要だと渋る役人に、「このままでは時計が壊れてしまう」「一刻も早く手当てをしなければ」と熱意を伝え、ついに修理の許可を得ます。

時計台の内部は想像以上に荒れており、機械は錆びつき、埃にまみれていました。それでも井上は諦めず、何日もかけて錆を落とし、時計台は再び時を刻み始めました。

半世紀にわたる献身

修理後、井上は3日に一度、手弁当で時計台に通い続けました。時計を動かすための重りを巻き上げる作業は、150キロと50キロの重りをワイヤーで吊り上げる重労働で、2時間を要しました。その他にも、各部の点検や秒単位の修正など、多くの作業をこなしました。風雪で針が狂えばすぐに駆けつけ、大雨や地震の際も休むことはありませんでした。いつしか、井上は札幌市民から「時計台のお医者さん」と呼ばれるようになります。

戦争と復興、そして晩年

1941年（昭和16年）からの戦時中、時計台は軍隊に接収され、井上は立ち入ることができなくなりました。終戦後、再び時計台に入ると、機械は停止していました。鐘の音を奪った戦争への怒りを胸に、井上は鐘を鳴らし、亡くなった人々のために祈りました。1947年（昭和22年）からは、長男の井上和雄も手伝うようになります。

戦後の復興期を経て、時計台は札幌の名物として知られるようになり、1963年（昭和38年）には札幌市民憲章にも「時計台の鐘」が謳われました。井上にとって、札幌のシンボルを守り続けていることは誇りであり、作業の原動力でした。重りの巻き上げを電動化する案が出ましたが、井上は手作業での点検の重要性を訴え、却下させました。

晩年、時計台周辺の都市開発が進むにつれて、時計台の移転案が浮上します。井上はこれに強く反対し、「時計台はビルの谷間にあってこそ生きている」と訴え、1976年（昭和41年）に永久保存が決定しました。

1978年（昭和53年）には、時計台創建100年記念式典で表彰され、時計台を題材にした歌に感動しました。1981年（昭和56年）の火災で時計店が焼失した際も、井上が持ち出したのは時計台の修理道具でした。翌年、50年にわたる保守の仕事を長男に引き継ぎ、85歳で引退。その後も時計台の時を気にかけ、1996年（平成8年）に99歳で亡くなりました。

人物像

井上は、信念を曲げない職人気質で、非常に頑固な性格でした。仕事には妥協せず、息子にも厳しく接しました。職人としては厳格でしたが、時計台への情熱は誰よりも強く、店には最新の工具を備えた修理場がありました。口癖は「いい仕事でなければ仕事ではない」「止まった時計は時計ではない」であり、時計台の機械室には「最後の点検怠るな。後世後輩に良き手本を示せ」という言葉を残しています。

受賞・表彰

1969年（昭和44年） - 勲七等瑞宝章
1976年（昭和51年） - 北海道文化財保護功労者
1978年（昭和53年） - 時計台創建百年特別表彰
1983年（昭和58年） - 平和堂貿易 時の功労賞

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