伊澤蘭軒 (小説)

伊澤蘭軒

『伊澤蘭軒』は、森鷗外による史伝小説であり、鷗外の小説作品の中でも最長の作品として知られています。1916年6月25日から1917年9月5日にかけて「東京日日新聞」と「大阪毎日新聞」に連載され、1923年6月には鷗外全集刊行会によって第一次『鷗外全集』第八巻に収録されました。

執筆の背景

鷗外は『渋江抽斎』の執筆を通じて史伝の書き方に自信を深め、抽斎の医学の師である伊沢蘭軒とその周辺の人々について書きたいと考えるようになりました。『渋江抽斎』の第12章から第26章にかけて伊沢蘭軒を紹介していたため、本作では蘭軒がどのような人物であるかという説明を省き、物語が始まります。鷗外は、史伝の執筆について、「材料の扱方に於て、素人歴史家たるわたくしは我儘勝手な道を行くことゝする。路に迷つても好い。もし進退維れ谷まつたら、わたくしはそこに筆を棄てよう。所謂行當ばつたりである。これを無態度の態度と謂ふ。無態度の態度は、傍より看れば其道が險惡でもあり危殆でもあらう。しかし素人歴史家は樂天家である」と述べています。

主な登場人物

伊沢蘭軒
阿部正弘
井伊直弼
池田京水

評価

石川淳は、評論『森鷗外』の中で、『蘭軒』全体を覆う異様な静けさに注目し、作者の心の沈潜が読者の心を刺激すると評しました。また、『抽斎』が世界像を構築するには至らなかったものの、蘭軒という人間像を中心に素材が整理されている点を評価しました。

鷗外の次女である小堀杏奴は、『不遇の人 鷗外』で、『北条霞亭』を含む鷗外の作品群を比較した結果、『伊澤蘭軒』が最も優れていると述べています。

松本清張は、『両像・森鷗外』において、『抽斎』の手法が確立されていたからこそ、『蘭軒』の構成も綿密に練られた設計図のように安心して読めると評価しました。特に、蘭軒伝における池田京水の謎の解明は圧巻であるとし、『抽斎』の執筆中に行き詰まっていた京水に関する調査が本作で進展したことを、鷗外の執念の賜物であると評しました。

エピソード

作中には、「朽木三助の手紙」に関するエピソードが登場します。鷗外は「その三百三」において、朽木三助という人物から阿部正弘の死は井伊直弼の陰謀によるものだという手紙を受け取ったものの、事実ではないとして返信したこと、その後、朽木の死を知らせる手紙を受け取ったことが記されています。この「朽木三助の手紙」は、当時中学生だった井伏鱒二によるいたずらであったことが後に明らかになりました。

外部リンク

* 『伊沢蘭軒』：新字旧仮名 - 青空文庫

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