伊藤野枝

伊藤野枝：奔放な魂と時代の波紋

伊藤野枝（1895-1923）は、20世紀初頭の日本において、類まれな存在感を放った女性運動家、無政府主義者、作家でした。福岡県に生まれ、貧しいながらも勉学に励み、東京で女性解放運動の中心地「青鞜」に関わります。しかし、既存の価値観に捉われることなく、自由奔放な生き方を貫き、数々の批判を浴びる一方で、現代社会にも通じる重要な問題提起を数多く行いました。

幼少期から青鞜社へ

野枝は7人兄弟姉妹の3番目、長女として生まれました。裕福な家庭ではなかったため、幼い頃から家計を助けるため働き、その経験が彼女の自立心を育んだと考えられます。彼女は詩や短歌を発表するなど、文学への才能を開花させ、1909年には東京へ上京しました。上野高等女学校に入学し、そこで後の夫となる辻潤と出会います。しかし、家柄や社会通念にとらわれず、結婚制度への疑問を深めていきます。

1912年、野枝は平塚らいてうが主宰する女性雑誌「青鞜」に関わり始めます。この雑誌を通して、与謝野晶子や長谷川時雨といった当時を代表する女性たちと交流し、自身の思想を深めていきました。野枝は「青鞜」の編集を担うようになり、既存の枠にとらわれない編集方針で注目を集めますが、自身の無政府主義への傾倒を深める中で、わずか1年余りで編集を放棄してしまいます。

大杉栄との出会い、そして甘粕事件

「青鞜」を去った野枝は、無政府主義者である大杉栄と出会い、同棲を始めます。大杉にはすでに複数の女性関係があり、野枝の参加によって複雑な関係が生まれます。この関係は当時の社会から大きな批判を浴びましたが、野枝は自由な恋愛観を貫き、大杉との間には5人の子供をもうけました。貧困と警察の監視下に置かれながらも、2人は共同で多くの著作を発表し、社会運動に積極的に関わります。

1923年、関東大震災直後の混乱期に、野枝は大杉栄、そして大杉の甥である橘宗一と共に、憲兵隊によって逮捕され、甘粕事件によって殺害されます。わずか28歳での死でした。この事件は、当時の権力による弾圧と、自由思想への脅威を象徴する出来事として、歴史に刻まれました。

伊藤野枝の思想と業績

野枝の著作は、人工妊娠中絶、売買春、結婚制度といった、現代社会でも議論の的となるテーマを扱っています。彼女の思想は、当時の社会通念にとらわれない、自由で主体的な女性の生き方を追求するものでした。また、無政府主義への共感を背景に、社会の不平等や権力への批判を鋭く展開しました。

野枝の著作は、戦後の女性解放運動にも大きな影響を与えましたが、彼女の生涯は常に社会の偏見や圧力と闘うものでした。彼女自身の奔放な生き方と、時代に先駆けた思想は、現代社会においても、自由と個性の尊重、そして社会正義の実現について考えさせる、重要な示唆を与えてくれます。

没後と再評価

野枝の死後、彼女の墓は何度も移転を繰り返しました。郷里では、彼女の奔放な生き方が忌避される風潮もあったようです。しかし、近年になって、野枝の思想や生き方が再評価され始めています。彼女の著作は現代においても読み継がれ、彼女の生涯を描いた作品も多数発表されています。これは、現代社会が、個人の自由と多様性を尊重する方向に変化していることを示しているのかもしれません。

主な著作

婦人解放の悲劇（エマ・ゴールドマン著、翻訳）
二人の革命家（大杉栄との共著）
乞食の名誉（大杉栄との共著）
自由母権の方へ

伊藤野枝の生涯は、激動の時代を生きた一人の女性の物語であると同時に、自由と個性の追求、そして社会正義の実現に向けた、揺るぎない意志の物語でもあります。彼女の生き方は、私たちに、時代を超えた普遍的な問いかけを投げかけています。

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