内在秩序と外在秩序

内在秩序と外在秩序：デヴィッド・ボームの量子論的視点

物理学者デヴィッド・ボームは、1980年に量子力学の存在論的解釈を深めるため、内在秩序（Implicate order）と外在秩序（Explicate order）という概念を提唱しました。これらの概念は、一つの現象を二つの異なる視点から理解するための枠組みを提供し、私たちの現実認識に新たな光を当てます。

内在秩序と外在秩序の基本概念

ボームは著書『全体性と内蔵秩序』で、現象が異なる見え方をする理由をこれらの概念で説明しました。内在秩序とは、現実のより深く、基本的な秩序を表すもので、「内包された」秩序とも表現されます。一方、外在秩序は、私たちが日常的に目にする抽象概念であり、「展開された」秩序と捉えられます。

内在秩序においては、時間や空間は要素間の関係を決定する主要な役割を果たしません。むしろ、時間や空間とは異なるレベルで要素が基本的な関係を築きます。この秩序では、通常の時間や空間の概念、そして時空的に独立して存在する粒子という概念は、より深い秩序から抽象されたものとして再解釈されます。つまり、時間や空間といった通常の概念は、内在秩序の全体性から特定の形として「外在化」した秩序において成立すると考えられます。

量子論における内在・外在秩序の意義

内在・外在秩序の思想は、粒子のような独立して存在する要素を、それらを包含する全体が持つより深い秩序から抽象された概念として捉え直すことで、その振る舞いを理解しようとする試みです。例えば、渦は流体の全体的な流れの一部として現れますが、これを独立した要素として扱うことで、その振る舞いを分析することができます。しかし、流体全体の流れを無視して渦の運動を考察しようとすると、渦が従う法則がどんなに奇妙であっても、それを「一次の法則」として受け入れざるを得なくなるでしょう。ボームは、現在の量子論にも同様のことが起きていると考えました。

量子論は粒子の振る舞いを数学的に説明することに成功しましたが、粒子の波動性や非局在性といった奇妙な性質は、日常的な概念と大きくかけ離れているにも関わらず、天下り的に受け入れざるを得ません。内在・外在秩序の思想は、粒子や時空といった概念を「一次の概念」ではなく、より深い秩序（内在秩序）から抽象された二次的な概念とみなすことで、粒子の奇妙な法則を内在秩序から外在化された「見せかけ」の法則として捉え直し、量子論の存在論的理解を試みています。

定式化への試み

ボームとその同僚たちは、内在秩序を代数や前幾何学で表現しようと試みました。彼らは時空を、内在秩序が外在化した「前空間」と捉え、時空多様体や局所性、非局所性といった性質が、前空間の秩序から生じると考えました。フレスクラとヒリーは、内在秩序を代数で表現し、外在秩序をその代数から生じる表現として捉えることができると提唱しました。

ボームはまた、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの「実際に起きていること」の概念に類似した「瞬間」の概念を考察しました。瞬間とは、時空の一点に完全に局在するのではなく、ある広がりを持った領域を占めるものと考えられます。この一瞬一瞬の時間は、内在秩序の射影であると捉えられます。ボームは、量子論の数学的定式化において、粒子や場の振る舞いではなく、内在する前空間の基本的な構造、そしてそこから時空などの基本的な概念がどのように外在化するかを重視すべきだと主張しました。

意識と物質の共通基盤

内在秩序は、物質と意識を統一的に理解するための形而上学的な基盤となり得ます。物質も意識も、(i)全体の構造が部分に反映され、(ii)内在化と外在化が連続する過程であるという共通点を持つからです。例えば、物質の場合、粒子の運動は内在化・外在化の過程として捉えられます。粒子は、ある瞬間に外在化して位置や運動量などの性質が確定し、次の瞬間には内在化してそれらの性質が不確定になります。そして、また次の瞬間に時空上の少し離れた位置に外在化します。「時空上の限定された経路に沿って運動する単一の粒子」という描像は、この内在・外在化の過程に対する近似として捉えられます。粒子の波動性は、この内在化・外在化の過程で表現されます。つまり、位置が観測されていない粒子は空間に内包されており、この内在化された粒子の秩序は波動関数によって表されます。

ボームは、意識についても物質と同様に、どのように外在秩序が現れるかを考察しました。意識の内容は本質的に記憶に基づいており、記憶が意識の内容をある程度定常的な形に保っています。定常性を保つためには、記憶の内容が固定された連想だけでなく、論理、時間、空間、因果律といった範疇によっても組織されていなければなりません。ボームは、意識とは、内在していた内容が外在化し、外在していた内容が内在化するというプロセスの繰り返しであると捉えました。記憶は、この内在・外在化の過程の特別なケースであり、脳の細胞に内包されています。意識において外在化される秩序は、物質において外在化される秩序と本質的に同じであるとされます。

アナロジーによる説明

ボームは、自身の概念を説明するために、インク液滴、切り紙、ホログラムといったアナロジーを用いました。

インク液滴: 粘性のある物質にインクを注入し、それを混ぜて見えなくした後、再び元の状態に戻す実験では、インクの形状の情報が可逆的に物質全体に保存されています。このとき、インクの形状は物質に「内在」しており、逆回転によって「外在化」して見えるようになります。
切り紙: 折りたたんだ紙を切って広げると、紙全体に模様が現れます。このとき、折りたたんだ紙の上の切れ目は内在秩序を、紙全体に広がる模様は外在秩序を表します。
ホログラム: ホログラムの感光フィルムには、そのどの部分にも3次元像全体の情報が含まれています。このことは、秩序が時間や空間の各領域に内在的な形で含まれていることを示唆しています。

芸術と内在秩序

ボームは、絵画、詩、音楽といった芸術もまた、内在秩序を外在化する表現であると捉えました。人間は、芸術において音、言葉、イメージなどを通して、内在する秩序を表現していると考えられます。

一般的な考え方との対比

ボームの秩序に関する新しい考え方は、以下のような一般的な考え方に対して疑問を投げかけました。

現象は、粒子のような静的な要素の振る舞いに関する基本的な法則によって説明できる
人類の知識は、本質的に粒子の振る舞いに関する数学的な予測に基づいている
思考と現実、そして観察者と観察対象は区別できる

ボームの思想は、還元主義的な考え方と相反します。彼は、世界を構成する要素を個別に理解するのではなく、全体に内包された秩序に焦点を当てるべきだと主張しました。彼の考え方によれば、個々の要素は、あるレベルでは実在しているとみなせるものの、別のレベルでは単なる見せかけに過ぎません。この考え方に含まれているのは、あらゆるものは本質的に分割不可能であるという認識です。

ボームは、全体を連続的な流れであると考え、これを「ホロ・ムーブメント」と呼びました。流れの中に現れる渦は、比較的安定した構造を持ちますが、全体の流れと明確に区別できるわけではなく、全体と不可分な存在です。

量子論と相対性理論との関係

ボームが新しい秩序の考え方を持つに至った背景には、量子論と相対性理論の間に存在する矛盾があります。相対性理論では、運動は連続的で因果律に従いますが、量子論では、不連続で因果律に従わず、明確に定義されていません。ボームは、これらの理論が持つ静的で断片的な実在による記述の制限を乗り越えるために、より深い秩序から派生する新しい理論が必要だと考えました。

隠れた変数理論との関連

内在秩序のアプローチを提唱する以前、ボームは隠れた変数理論を提案していました。彼は、そのような理論の構築が可能であることを示すことが目的であり、この理論を通じて、特定の理論が広範囲に成り立つ場合でも、その理論の特定の特徴が一般的に成り立つとは限らないという思想的な意味を示唆しようとしました。

まとめ

内在秩序と外在秩序の概念は、量子力学の理解を深めるだけでなく、物質、意識、そして現実そのものに対する私たちの認識を問い直すための強力な枠組みです。ボームの思想は、従来の物理学の枠組みを超え、より包括的で統合的な視点を私たちに提供します。

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