北越軍談

北越軍談（ほくえつぐんだん）

『北越軍談』は、江戸期に著された軍学書の一つです。その成立は元禄十年（1697年）とされています。本書の著者は、『関東古戦録』なども手掛けたとされる槇島昭武（まきしま あきたけ）と目されており、彼は後に駒谷散人と号し、近江国膳所藩本多家で浪人として過ごしたと伝えられています。

江戸期の軍学書と本書の特徴

江戸時代に入ると、過去の戦乱、特に戦国時代の軍事や合戦に対する関心が高まり、多くの軍学者が登場し、『甲陽軍鑑』をはじめとする様々な軍学書が生み出されました。これらの書物は、単なる戦術論にとどまらず、武将の事績や家臣団の様子、合戦の経緯などを物語風に記述したものも多く含まれています。

『北越軍談』は、こうした流れの中で生まれた書物であり、越後国の名門である上杉氏に焦点を当てた点が大きな特徴です。同時代の有名な軍学書である『甲陽軍鑑』が甲斐国の武田氏を中心に記述しているのとは対照的と言えます。

特に、戦国武将として名高い上杉謙信やその跡を継いだ景勝の時代の事績、そして彼らに仕えた上杉家臣団について、本書には詳細な記述が豊富に含まれています。

内容とその性質

本書は上杉氏に関する記述が中心ですが、彼らと激しい争いを繰り広げた甲斐国の武田氏に関する記述もまた豊富です。特に、両者の間で幾度も合戦が繰り広げられた北信濃を巡る川中島の戦いについては、多くの紙幅が割かれています。

中でも、川中島の戦いで語り継がれる武田信玄と上杉謙信による一騎討ちの伝承や、謙信に仕えたとされる伝説的な軍師、宇佐美定行（駿河守）の目覚ましい活躍に関する記述が多く見られます。こうした物語的な要素や、文書史料からは裏付けられない事柄、さらには年月の誤りといった要素も含まれていることが、本書の性質として指摘されています。この点は、『甲陽軍鑑』が含む虚構性とも共通する部分があります。

流布と著者の異説

本書には、成立年の元禄十年（1697年）よりも遡る寛永二十年（1643年）の日付を持つ、洛東隠士雲庵による序文が付されています。また、著者の真偽については異説もあり、本書の著者は紀州徳川家に仕えた宇佐美定祐（うさみ さだすけ）であるという説も有力視されています。

江戸期を通じて、『北越軍談』は様々な写本や刊本として広く流布しました。特に、宝永八年（1711年）には、大阪の高麗橋で書店を営む野村長兵衛が、複数の系統の伝本を比較検討し、校訂本として刊行しています。

影響

『北越軍談』は、宇佐美定祐が創始したとされる越後流軍学において、主要な教本の一つとして用いられました。また、本書とは別に『武門要鑑抄』を教本とする要門流など、この系統から派生した流派も生まれました。

さらに、江戸時代には、川中島の戦いを題材とした合戦図屏風が数多く制作されましたが、和歌山県立博物館が所蔵する「川中島合戦図屏風」（江戸前期、六曲一双）は、その描写が『北越軍談』の記述に強く影響を受けていることが指摘されています。特に、宇佐美定行が合戦において重要な役割を果たしたかのように強調して描かれている点が、本書の内容に基づいていると考えられています。

このように、『北越軍談』は単なる軍学書としてだけでなく、戦国時代の合戦、特に上杉氏と武田氏の攻防に関する後世の認識や、物語、さらには美術表現にも影響を与えた重要な書物と言えます。

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