去来抄

『去來抄』：蕉風俳論の金字塔

『去來抄』は、近世俳諧史において最も重要な文献の一つとして位置づけられる、俳諧論書です。著者は松尾芭蕉の高弟である向井去來で、芭蕉の教え、蕉門での議論、そして去來自身の俳諧に対する深い理解が凝縮されています。1702年（元禄15年）頃から1704年（宝永元年）にかけて成立したと推測され、1775年（安永4年）に初めて刊行されました。しかし、去來の没後70年以上が経過してから世に出たため、当初は真筆であるか否か、激しい論争を巻き起こしました。現在では、その内容は蕉風を理解する上で極めて重要であり、芭蕉研究者のみならず、俳句を学ぶ初心者にとっても貴重な指針となっています。

『去來抄』の内容

『去來抄』は、安永板本では「先師評」「同門評」「修行教」の3部構成ですが、伝来する写本の中には「故實」を加えた4部構成のものも存在します。内容は芭蕉の俳諧観の核心から具体的な句作の技法まで多岐に渡り、次の4つの部分から構成されています。

先師評：芭蕉や蕉門の俳人の作品に対する芭蕉自身の評語を中心に、蕉門の門弟間の批評も収録されています。句作の微妙なニュアンス、余白の美しさ、句の構成、俳諧における作法など、多様な側面が取り上げられています。45の章からなり、各章は独立して読むことも可能です。
同門評：芭蕉や蕉門の門弟の作品を巡る、門弟同士の批評や議論が記されています。特に許六との論争が多く見られ、『篇突』や『旅寝論』といった他の俳諧書との関連も指摘されています。発句に関する内容が中心です。
故實：去來が芭蕉の真意を伝えようと、俳諧の形式、脇第三の止め方、切字、花の座などの具体的な技術や歴史的背景を解説しています。卯七の質問に去來が答える形式を取っています。
修行：俳諧の基礎、不易流行といった俳諧の本質、さび、しをり、ほそみなどの重要な概念、そして匂い付けや響きなどの技法が解説されています。芭蕉門の根本理念を理解する上で非常に重要な部分です。

『去來抄』成立の経緯と真贋論争

芭蕉没後、蕉門の門弟によって様々な俳論書が出版されました。中には、去來が芭蕉から受けた教えと異なる内容のものもあり、去來はそれらに対する自身の見解を記すため、『去來抄』を執筆したと考えられています。去來は関西においても蕉門随一の弟子であり、芭蕉からも高く評価されていました。

『去來抄』の成立時期については、1702年（元禄15年）頃から1704年（宝永元年）にかけてであると推測されています。これは、去來が土芳に句作を依頼した時期や、『落柿舎集』の編纂計画と関係があると考えられています。『落柿舎集』は、当初は俳論と発句の両方を収録する予定でしたが、去來の急死により、俳論の部分のみが『去來抄』として残されました。

『去來抄』は、一部は写本として伝わっていましたが、安永期に京都の井筒屋によって初めて刊行されました。しかし、『俳諧花實集』という、去來の遺著と称される別の俳書が既に存在していたため、真贋論争が巻き起こりました。『去來抄』と『花實集』は内容に共通点が多いものの、問答の相手などが異なっているため、どちらか一方が偽書である可能性が指摘され、その真偽をめぐる議論は長く続きました。

様々な研究者による検討の結果、古梓堂文庫に所蔵されていた『去來抄』の写本が、去來自身の草稿である可能性が高いことが明らかになり、真贋論争は終止符を打たれました。この写本には、推敲の跡が多数残されており、その筆跡は去來の他の作品と一致することが確認されています。

諸本

『去來抄』は、大東急記念文庫本（草稿）、安永板本（版本）、国立国会図書館本（写本）など、様々な写本や版本が存在し、それぞれに特徴があります。これらの諸本を比較検討することで、『去來抄』の成立過程や内容の変遷をより深く理解することができます。

まとめ

『去來抄』は、芭蕉の俳諧観を深く理解するための重要な文献であり、現代においても俳句の学習や研究に役立つ貴重な資料です。その成立過程や真贋論争の歴史も、俳諧史を語る上で興味深いものです。

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