叛逆天使の墜落 (ブリューゲル)

ピーテル・ブリューゲルの傑作『叛逆天使の墜落』：混沌とした宗教画の世界

ピーテル・ブリューゲル（1525年頃-1569年）の代表作の一つ『叛逆天使の墜落』（蘭: De val der opstandige engelen、英: The Fall of the Rebel Angels）は、1562年に制作された油彩画です。現在、ベルギー王立美術館に収蔵されています。この作品は、キリスト教的世界観に基づいた宗教画であり、天界から追放された堕天使たちの戦いと、大天使ミカエル率いる天使軍勢の戦いを壮絶に描き出しています。

ブリューゲルの独創性：混沌とした戦場

堕天使の転落という主題は、中世から繰り返し描かれてきた伝統的なモチーフです。しかし、ブリューゲルの『叛逆天使の墜落』は、従来の作品とは大きく異なる様相を呈しています。画面全体は、まさに戦場と呼ぶにふさわしい混沌とした様相で、天使と堕天使が入り乱れて激しく争っています。天使たちは、鋭い剣を振るい、堕天使たちを圧倒しようとしていますが、堕天使たちは人間、獣、爬虫類、魚、貝、昆虫、植物、さらには楽器といった、あらゆる生物や無生物を合成したような、奇怪な怪物として描かれています。この混沌とした表現は、善と悪、美徳と悪徳の激しいせめぎ合いを象徴しているかのようです。

画面上部中央には、円形の至高天が描かれています。堕天使たちは、この至高天から地上へと落下し、その過程でさらに醜く、邪悪な姿へと変貌していきます。興味深いのは、この堕天使たちの姿の中に、当時、新大陸からヨーロッパに持ち込まれたばかりのアルマジロが取り入れられていることです。このことは、ブリューゲルの博物学的関心の深さを示しています。一方、大天使ミカエル率いる天使たちは、長剣を手に、堕天使たちと激しく戦っています。この剣の精緻な描写から、この絵画の注文主は、刀剣ギルドであったのではないかという説もあります。

ヒエロニムス・ボスの影響

『叛逆天使の墜落』における、奇怪な怪物たちの描写は、初期フランドル派の巨匠、ヒエロニムス・ボス（1450年頃-1516年）の作品から強い影響を受けているとされています。ボスは、ブリューゲルの生まれる約10年前に亡くなっているため、師弟関係はなかったものの、ブリューゲルの絵画様式は、ボスの影響を強く受けていることは明らかです。当時、ブリューゲルは「新しいボス」「第二のボス」と呼ばれ、ボスの後継者として認識されていたほどです。

ブリューゲルの他の作品、例えば『悪女フリート』（1562年）や『死の勝利』（1562年頃）にも、ボスの影響が指摘されています。これらの作品と『叛逆天使の墜落』を比較することで、ブリューゲルの画風がボスの影響を受けながら、独自性をどのように獲得していったのかを理解することができます。

作品の鑑定と修復

『叛逆天使の墜落』が、現在の所蔵館であるブリュッセルの王立美術館に持ち込まれたのは、1846年のことでした。当初は、ブリューゲルの長男、小ピーテル（ピーテル・ブリューゲル2世）の作品と誤認され、500フランで購入されました。その後、怪物の描写の類似から、ヒエロニムス・ボスの作品と鑑定された時期もありました。しかし、19世紀末に額縁の裏から「M.D.LXⅡ BRVEGEL」の年記と署名が発見されたことで、大ピーテル（ピーテル・ブリューゲル）の作品であることが確認されました。

20世紀初頭には修復作業が行われましたが、その際に、大天使ミカエルの両脇にいる天使の部分が洗浄されすぎて、全体の調和が崩れてしまったと懸念されています。ブリューゲルの没後400年となる1969年には、再び調査と洗浄が行われ、表面のワニスの層を除去することで、本来の豊かな色彩と、ブリューゲル特有の、単純で軽妙でありながらしっかりとした筆致がよみがえりました。

まとめ

『叛逆天使の墜落』は、ブリューゲルの宗教画における才能と、当時の社会情勢や文化、そしてヒエロニムス・ボスからの影響を反映した傑作です。混沌とした画面構成、精緻な描写、そして独特の怪物たちの表現は、見る者に強い印象を与え、今もなお多くの人々を魅了し続けています。

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