善き人

『善き人』（Good）

2008年に製作されたイギリス・ドイツ合作のドラマ映画、『善き人』（原題: Good）は、劇作家C・P・テイラーによる同名の舞台劇を基に、カルロス・サルダーニャが監督を務めた作品です。物語の舞台は1930年代、アドルフ・ヒトラー率いるナチス党がドイツ国内で急速に勢力を拡大し、全体主義の影が色濃くなり始めた時代です。

主人公は、ベルリンの大学で文学を教えている教授、ジョン・ハルダー。彼はごく平凡な市民であり、家族を深く愛する優しい心の持ち主で、自らを疑いなく「善き人」であると信じていました。しかし、彼がかつて執筆した安楽死に関する小説が、当時の国家指導者であったヒトラーの目に留まり、思わぬ形で評価されたことから、ジョンの人生の歯車は狂い始めます。

この小説をきっかけに、ジョンはナチス党への入党を事実上強いられることになります。個人の良心とは裏腹に、彼は抗えない時代の流れに押し流されていくのです。党員となったことで、ジョンは次第に体制側の人間として振る舞うことを余儀なくされ、その過程で、長年の親友であるユダヤ人のモーリス・イズレアル・グラックシュタインとの間に避けられない溝が生じ始めます。反ユダヤ主義がドイツ社会を蝕み、ユダヤ人に対する迫害が激化していくにつれて、二人の友情は決定的に引き裂かれていきます。

時が経ち、ナチス親衛隊の幹部という地位にまで上り詰めたジョンは、危機に瀕したモーリスを救おうと、彼の国外脱出を密かに支援する計画を実行します。しかし、この試みは失敗に終わります。さらにジョンを打ちのめしたのは、モーリスが逮捕され強制収容所に送られてしまった理由が、ジョンの現在の妻、アンによる警察への通報であったと知った時です。かつての教え子であり、愛する妻でもあるアンの裏切りとも言える行為に、ジョンは深い衝撃を受けます。

親友の安否を案じたジョンは、自らの地位を利用して、モーリスが送られたとされる強制収容所への立ち入り許可を得ます。しかし、そこに広がっていたのは想像を絶する光景でした。大量のユダヤ人が非人道的な条件下に収容されており、その混沌とした状況の中でモーリスの姿を見つけ出すことは至難の業でした。ジョンは収容所内を歩き回り、飢えや病に苦しみ、人間としての尊厳を剥奪された人々の悲惨な姿を目の当たりにします。絶望と悲哀が漂う空気の中、ジョンは収容されているユダヤ人たちが奏でる、悲しみの中にも力強さを感じさせる美しい音楽に触れ、涙を禁じ得ません。この音楽は、極限状態にあっても失われない人間の精神の抵抗、そして芸術の持つ力を象徴しています。そして、ジョン自身の内面で揺れ動く良心と、体制の中で生きていくことの代償を浮き彫りにします。

本作は、個人が時代の圧力や全体主義の波にどのように対峙し、あるいは同化していくのか、そしてその過程で「善意」や「人間性」がどのように変容していくのかを鋭く問いかける作品です。主人公ジョン・ハルダーの葛藤を通じて、観る者は善悪の境界線、道徳的選択、そして沈黙の罪について深く考えさせられます。ジョン役を名優ヴィゴ・モーテンセンが熱演し、親友モーリス役をジェイソン・アイザックス、妻アン役をジョディ・ウィッテカーが演じるなど、実力派キャストが集結し、重厚な人間ドラマを織りなしています。

キャスト（主要）：

ジョン・ハルダー - ヴィゴ・モーテンセン
モーリス・イズレアル・グラックシュタイン - ジェイソン・アイザックス
* アン - ジョディ・ウィッテカー

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