国民優生法

国民優生法（こくみんゆうせいほう）

国民優生法は、昭和15年（1940年）5月1日に法律第107号として公布され、昭和16年（1941年）7月から施行され、昭和23年（1948年）まで存在した法律です。その主な目的は、優生思想に基づき、悪質な遺伝性疾患を持つ可能性のある人々の増加を抑制し、健康な素質を持つ人々の増加を促進することで、国民全体の資質を高めることにありました。

この法律は、遺伝性疾患の素質があるとされた人々に対して不妊手術（優生手術）を規定するとともに、健全な素質を持つ人々への人工妊娠中絶を制限しました。しかし、実際の運用においては、人工妊娠中絶に対する規制強化という側面が強く機能しました。一方、不妊手術の実施件数は想定されたよりもはるかに少なく、特に第6条に定められていた強制的な不妊手術については、一度も行われることはありませんでした。また、それまで医師の判断に委ねられていた医学的・健康上の理由による中絶手術も、この法律によって規制が厳しくなりました。

制定までの経緯

国民優生法の制定に向けた動きは、大正期から始まります。大正5年（1916年）に内務省保健衛生調査会で優生問題が議論されましたが、その時は見送られました。しかし、大正10年（1921年）の総会で民族衛生に関する調査が提案され、昭和4年（1929年）には人口食糧問題調査会の答申に優生学的な調査研究の必要性が盛り込まれました。昭和5年（1930年）には保健衛生調査会内に民族衛生特別委員会が設置され、同年、優生運動を推進する日本民族衛生学会も設立されました。

民族衛生学会は昭和10年（1935年）に財団法人として認められ、優生思想の啓蒙活動を活発化させました。同学会は関係者によって法案の草案を作成し、永井潜会長は「民族の花園を荒す雑草は断種手術によって根こそぎに刈取り日本民族永遠の繁栄を期さねばならぬ」と述べるなど、断種手術の必要性を強く主張しました。また、精神医学関連団体などからも断種法制定への要望が出されました。議員による「民族優生保護法案」も昭和9年（1934年）から昭和14年（1939年）にかけて帝国議会に5回提出されましたが、いずれも成立しませんでした。当時の欧米各国では既に優生法が合法化されている状況でした。

昭和13年（1938年）1月に厚生省が発足すると、人口増強策の一環として、予防局が優生断種制度の制定に取り組み始めました。予防局優生課は、精神病学者、遺伝学者、法律学者などを集めた協談会を開き、同年11月には民族衛生研究会を設置して調査研究と優生思想の普及活動を行いました。「健常優秀なる遺伝素質を基礎とする」ことの重要性を強調し、国民体力向上策として優生断種制度確立に向けた準備が進められました。昭和14年（1939年）、政府は優生断種制度に関する全国調査を実施し、「民族優生制度案要綱」を作成。これは国民体力審議会に諮問され、「優生制度案要綱」として答申されました。

この答申内容と、ナチス・ドイツの遺伝病子孫防止法などを参考に、政府は「優生法案」を作成し、昭和15年（1940年）3月に第75帝国議会に提出しました。法案は衆議院で一部修正された後、同年5月に可決・成立し、「国民優生法」となりました。制定過程では、当初の「優生」目的に「人口の増加」を加える案も検討されましたが、最終的には「国民素質の向上」に一本化され、その中に「健全な素質を持つ者の増加」が含まれる形となりましたが、人口増加を前面に出す表現にはなりませんでした。

戦後の改正

本法は、昭和22年（1947年）の民法改正に伴う関係法律の整理に関する法律により、一部改正されました。これは、改正民法における家制度の廃止に対応するための措置です。

主な改正点として、優生手術の申請における同意要件が変更されました。改正前は本人が30歳未満の場合、その家の父母の同意が必要でしたが、改正後は「未成年者」の場合に親権者（父母など）の同意が必要となり、配偶者がいない場合の要件も追加されました。また、父母や後見人、戸主、親族会による同意や申請に関する規定が見直され、後見人による申請権は廃止され、戸主や親族会に関する部分は削除または家事審判所の許可が必要とされるなど、家制度を前提とした規定が整理されました。これらの改正規定は、昭和23年（1948年）1月1日から施行されました。

対象とされた疾患

国民優生法において「悪質な遺伝性疾患の素質」とされたのは、遺伝性精神病、遺伝性精神薄弱、強度または悪質な遺伝性病的性格、強度または悪質な遺伝性身体疾患、および強度な遺伝性奇形でした。

廃止と後継法

国民優生法は、昭和23年（1948年）に廃止されましたが、その内容は新たに制定された優生保護法に大部分が継承されました。

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