大井道夫 (環境官僚)

大井道夫（おおい みちお、1922年 - 2007年）は、昭和時代後半から平成にかけて、日本の環境行政に深く関与した官僚であり、自然保護思想家でもありました。東京大学で農学博士号（1978年）を取得し、特に尾瀬国立公園の創設や、長距離自然歩道である東海自然歩道の整備構想を主導したことで知られています。また、「身近な自然」の重要性を訴える理論を提唱しました。

新潟県に生まれた大井は、東京帝国大学農学部林学科で森林利用学を修め、さらに大学院では造園学や風致工学といった分野を探求しました。これらの学術的背景は、後に彼が取り組む国土計画や自然公園行政において重要な基盤となります。

1948年、厚生省の国立公園部に入省したことを皮切りに、官僚としてのキャリアを歩み始めます。1965年には同部の計画課長に就任し、日本の自然公園制度に関する重要な政策立案の中心人物となります。1971年に環境庁が新設されると、自然保護局に籍を置き、長官官房参事官や公害研修所長（1974年から）などを歴任し、環境行政の草創期を支えました。

官僚時代には、日本の自然環境保全と国土の緑化推進に資する数々の施策に関わりました。その代表的な業績として、以下のものが挙げられます。

東海自然歩道: 1968年に提出された自然公園制度に関する答申を契機に、アメリカ合衆国の有名な長距離トレイル「アパラチアン・トレイル」から着想を得て、厚生省計画課長時代にその構想を発表しました。これは、東京都八王子市から大阪府箕面市に至る長大な自然歩道ネットワークを整備する画期的なプロジェクトであり、多くの人々に自然の中で Recreation（レクリエーション） を楽しむ機会を提供しました。
尾瀬公園計画: 日本有数の湿原である尾瀬の国立公園指定に向けた計画策定において、中心的な役割を果たしました。尾瀬の貴重な自然生態系を守るための保護策や利用計画の具体化に尽力しました。
* 国立公園施設整備計画: 国立公園の適切な利用と保護のための施設整備に関する計画策定に、計量的な手法を取り入れるなど、科学的・合理的なアプローチを導入しました。

官庁を離れた後も、大井は日本の自然保護活動に貢献し続けました。1971年から1978年にかけては、東京大学農学部や東京農工大学農学部で非常勤講師として教鞭を執り、後進の育成にもあたりました。1984年以降は、公益財団法人国立公園協会の理事長、会長、顧問といった要職を歴任しました。この国立公園協会での活動期間中、特に注目されるのは屋久島の世界遺産登録への関与です。当時の環境省自然環境局長であった小野寺浩氏によると、1991年4月に開催された第1回屋久島環境文化懇談会において、国立公園協会の理事長として参加していた大井が、屋久島の世界遺産登録構想について初めて具体的に言及したとされています。これは、屋久島の稀有な自然環境を国際的に認められる形で保全しようとする、先見の明に富んだ提言でした。

長年の功績が認められ、1993年には勲三等旭日中綬章を受章しました。また、専門分野における貢献に対しては、1969年に日本造園学会賞、1977年にはアメリカ合衆国から自然保護功労賞、平成9年度（1997年度）には日本造園学会上原敬二賞が贈られています。

大井道夫は、単なる官僚として政策を遂行するだけでなく、日本の自然保護に関する独自の哲学を持っていました。特に彼が唱えた「身近な自然」論は、国立公園のような特別に優れた自然景観だけでなく、私たちの日常生活の場にある身近な緑や水辺も保護し、活用していくことの重要性を強調するものでした。これは、国土全体にわたる緑化や、都市における自然環境の創造・保全といった視点にも繋がる考え方です。

また、自然や風景に関する著作も複数残しています。代表作としては、自然保護に対する自らの考えをまとめた『風景への挽歌 ―私の自然保護論』（1978年）や、著名な画家たちが描いた国立公園の図録に共著者として名を連ねた書籍（1997年）があります。その他にも、関連する書籍の装幀を手がけたり、編集に携わったり、解説文を寄稿したりするなど、多方面から自然保護思想の普及に貢献しました。

2007年5月2日、肺気腫により84歳で逝去しました。大井道夫が官僚として、あるいは官庁外の活動を通じて実現した政策や構想は、今日の日本の自然環境保全の基盤の一部を築き上げ、多くの人々に自然への関心を高める機会を提供しました。彼の提唱した「身近な自然」という考え方は、現代社会においても、地域における緑地保全や街並み景観の整備などを考える上で、示唆に富む視点を提供し続けています。

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