実物教授

実物教授：五感を活かした学びの探求

「実物教授」とは、生徒に具体的な物や現象を直接提示し、触れさせることで理解や体験を促す教育法です。教師が一方的に知識を伝えるのではなく、生徒自身の活動を通して学ぶことを重視する点に特徴があります。この教育法の起源は、18世紀のスイスの教育者ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチに遡ります。彼は、抽象的な概念の注入ではなく、生徒自身の感覚や経験に基づいた学習を提唱しました。ドイツ語ではSachunterrichtと呼ばれ、日本では「即物教授」とも呼ばれることもあります。

ペスタロッチの教育思想と「メトーデ」

ペスタロッチは、教師が一方的に知識を教え込む従来の教授法に疑問を抱き、生徒自身の自己活動に基礎を置く教育を目指しました。彼は「直観教授法」を提唱し、事物を直接観察することで認識を発展させることを強調しました。これは、単に「見る」という行為だけでなく、観察を通して事物の本質を理解することを意味します。

ペスタロッチは独自の教育方法「メトーデ(Methode)」を確立しました。これは、事物の単純な構成要素から出発し、それらを再構成することで事物の全体像を理解させるという学習指導法です。彼は自ら学校を経営し、この方法を実践的に研究しました。「メトーデ」の中核には「直観」という概念があり、言葉による説明ではなく、実物や絵を用いて感覚的に知識を習得させることを重視しました。例えば、果物の数、形、色、名前などを直接示すことで、生徒は数、形、言葉の概念を同時に理解することができます。彼は、感覚器官の発達を土台として、理性の教育へと発展させていくべきだと考えました。

ペスタロッチは、基礎的な技能の習得（基礎陶冶）も重視し、開発主義的な問答法を通して生徒の認識を深めていくことを提唱しました。これは、生徒が自ら答えを導き出す過程を通して、より深い理解に到達することを目指す学習方法です。

明治期の日本における実物教授

ペスタロッチの教育思想は、明治時代の日本にも導入されました。それまでの日本の初等教育は、素読や暗唱中心で、実践的な知識や技能の習得は軽視されていました。しかし、ペスタロッチの「直観教授」は、「開発教授」として紹介され、教科書にも反映されました。算術の授業では、数字の書き取りや読み方から始め、数概念の理解を深めてから計算へと進むという方法が採用されました。

明治初期の教科書は、多くがペスタロッチ主義に基づいて作成され、国語、算術、歴史、地理など様々な教科で実物教授的な手法が用いられました。教師は、絵や図表を示しながら生徒に質問し、実物を見せることで理解を促す授業を実践しました。これは、江戸時代の「往来物」のような実践的な知識の伝承とも共通する点があります。

しかし、明治20年代以降は、ヘルバルト主義の教授法が主流となり、体系的な知識伝達を重視する教育が普及しました。その結果、ペスタロッチ主義は一時的に注目されなくなりましたが、第二次世界大戦後、教育の原点回帰が叫ばれるようになり、ペスタロッチやフレーベルの教育思想が見直されるようになりました。実物教授は、生徒の主体的な学習を促進し、深い理解を促す有効な教育方法として、現在でも重要な位置づけを占めています。

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