少年 (谷崎潤一郎)

少年：谷崎潤一郎の青春と闇を描いた傑作短編小説

1911年6月、雑誌『スバル』に掲載された谷崎潤一郎の短編小説『少年』は、当時まだ東京帝国大学国文学科に在籍していた著者の8作目の作品にあたります。同年11月には短編集『刺青』に収録され、多くの読者に衝撃を与え、谷崎潤一郎という作家を一躍有名にしました。

物語は、日本橋の有馬小学校に通う少年・萩原栄（主人公）の視点から語られます。同級生の塙信一に誘われ、彼の屋敷を訪れた栄は、そこで信一の姉・光子や、学校で恐れられる仙吉と出会います。一見弱虫に見える信一ですが、屋敷の中では姉や仙吉を巧みに操る一面をみせ、栄は信一の不思議な魅力に取り憑かれていきます。

信一の屋敷は、お稲荷様のお祭りで賑わいを見せる古風な建物と、禁断の空間として神秘的に描かれる西洋館が共存する、対照的な空間です。子供には立ち入り禁止とされている西洋館への好奇心から、栄と仙吉は光子を脅迫し、夜に西洋館へと誘い込みます。そこには、普段とは異なる、妖艶で支配的な光子の姿がありました。

この作品は、少年期の複雑な心理や人間関係、そして性的な好奇心などを繊細に描写することで知られています。特に、一見弱々しい信一が、屋敷の中では支配的な存在であるというギャップや、少年たちの欲望と残酷さ、そして美少年信一への盲目的な従属関係などは、読者に強い印象を与えます。

『少年』の舞台は、谷崎潤一郎自身の幼少期を過ごした日本橋蠣殻町界隈です。作中には、実際にモデルとなった建物や人物が登場し、当時を知る上でも貴重な資料となっています。しかし、谷崎自身は有馬小学校ではなく阪本小学校の出身であり、その点においてはフィクションと現実の微妙な差異が見て取れます。

発表当時、この作品は高い評価を受けました。『帝国文学』『三田文学』『早稲田文学』などの雑誌や主要新聞の文芸時評で取り上げられ、「最も優れた興味あるものの一つ」「六月の記念に残った」といった好意的な批評が寄せられています。特に、永井荷風による絶賛は、谷崎の作家としての地位確立に大きく貢献しました。荷風は『少年』を「強い力の籠った製作」と評し、作品に込められた肉体的な惨忍と恐怖、そしてそれらを美しく表現する文章を高く評価しています。

『少年』は、後に出版された『刺青』の成功によって、谷崎潤一郎の処女作集として広く知られるようになりました。しかし、実際には『少年』を中心とした作品集として企画されていたものが、永井荷風の絶賛によって『刺青』というタイトルに変更されたという説もあります。このエピソードは、「『刺青』処女作神話」と呼ばれ、近代文学史における興味深い出来事として語られています。

研究者からは、『少年』は谷崎文学の原型を示す作品として、マゾヒズム的傾向や女性支配といったテーマに注目した研究が数多く発表されています。また、明治時代の東京の下町風景や、少年たちの秘密の遊び場としての屋敷の描写についても高い評価が与えられています。都市論や東京論の視点からも、この作品は注目に値すると言えます。

『少年』は、単なる少年期の冒険物語ではなく、人間の複雑な心理や性、社会の闇などを、美しい文章と深い洞察によって描き出した、谷崎潤一郎の代表的な作品の一つです。その影響は、後の谷崎作品や、日本の近代文学全体にまで及んでいると言えるでしょう。

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