廣田幸敬

廣田 幸敬

廣田 幸敬（ひろた ゆきのり、1930年 - 1986年）は、20世紀後半の日本を代表する生物学者、特に遺伝学の分野で顕著な業績を残した研究者です。長年にわたり国立遺伝学研究所の教授を務め、生命現象の根幹に関わる研究を推進しました。

経歴と初期の研究

廣田は大阪大学において学究生活を送り、同大学で博士号を取得しました。彼の学位論文は「大腸菌K-12の性接合に対する外部條件の研究（Inheritance of an environmental effect in the sex-compatibility of Escherichia coli K-12）」と題され、大腸菌の遺伝子伝達機構における外部環境の影響という、当時としては新しい視点からの研究でした。この初期の研究は、後に彼がライフワークとする大腸菌を用いた遺伝学研究の基礎となりました。

大腸菌変異株研究の確立と貢献

国立遺伝学研究所に移った廣田は、大腸菌（Escherichia coli）をモデル生物として、その細胞機能の遺伝学的解析に深く取り組みました。彼の最も重要な業績の一つは、大腸菌の多様な変異株、特に温度感受性変異株を体系的に収集し、それらを研究コミュニティが利用できる変異株バンクおよびデータベースとして整備したことです。温度感受性変異株は、特定の温度でのみ表現型（機能異常）を示すため、生命現象における特定の遺伝子やタンパク質の役割を解析する上で極めて有用です。廣田が構築したこの変異株コレクションは、世界中の多くの研究者にとって貴重なリソースとなり、大腸菌の生理機能、特に細胞分裂やDNA複製、細胞壁合成といった基本的なプロセスを担う遺伝子の同定と機能解析に不可欠なツールとなりました。

この変異株バンクを活用した研究の中から、大腸菌の細胞分裂において中心的な役割を果たすタンパク質群が次々と発見されました。代表的なものがFtsZというタンパク質です。FtsZは細胞分裂時に細胞の中央部にリング状の構造を形成し、細胞質の分離を駆動することが後に明らかになりました。廣田の研究室や、彼が提供した変異株を用いた国内外の研究により、FtsZを含むFtsファミリーや、細胞分裂位置を制御するMinファミリーといった、大腸菌の細胞分裂を厳密に制御する上で重要なタンパク質群が同定され、その機能の一端が解明されていきました。これらの発見は、原核生物の細胞分裂機構に関する理解を飛躍的に深め、細胞生物学と遺伝学の発展に大きく貢献しました。

受賞と著書

廣田幸敬の研究功績は高く評価され、複数の重要な賞を受賞しています。1963年には日本遺伝学会賞を受賞し、彼の初期の研究成果が学界で認められました。さらに、彼の長年の研究活動全体、特に大腸菌遺伝学への多大な貢献に対して、1986年には藤原賞が授与されました。惜しくもその年に逝去しましたが、科学者としての最晩年まで第一線で活躍しました。

また、彼は研究活動の一環として、科学知識の普及にも努めました。著書に『生物窒素固定の遺伝工学』（1981年、講談社）があり、当時の最先端研究であった生物による窒素固定に関する遺伝子レベルでの知見をまとめています。

廣田幸敬は、大腸菌を用いた古典的な遺伝学的手法と、分子生物学の黎明期の技術を組み合わせることで、細胞の基本機能に関わる遺伝子やタンパク質の発見という画期的な成果を生み出しました。彼が構築した変異株バンクは、現在もなお世界中の研究者に利用されており、その研究遺産は現代の生命科学研究においても重要な位置を占めています。

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