形質置換(けいしつちかん、Character Displacement)
概要
形質置換(けいしつちかん、Character Displacement)は、複数の生物種が同じ環境で生存し、餌や生息場所といった「
ニッチ」(生態的な地位や役割)を巡って競争する際に、その競争を和らげる方向にそれぞれの種の
形質が進化的に変化していく現象を指します。これは、特定の種間関係を通じて互いの進化に影響を与え合う
共進化の一形態と見なされています。
同じ環境で競合する複数の生物種がいる場合、やがて一方が排除されるか、あるいはそれぞれの種が利用する資源や空間を分け合う「
ニッチの分割」が生じます。
形質置換は、この
ニッチの分割が起こる際に、種間の競争圧を避けるように生物の
形質が変化する現象です。これは、競争という強力な選択圧によって引き起こされる適応進化の典型的な例と言えます。
種類
形質置換は、影響を受ける
形質の性質によって主に二つに分けられます。
1.
生態的形質置換: これは生物が利用する資源や生息場所といった生態的な側面に関わる
形質(例えば、鳥のくちばしの形状や魚の体型など)が変化するパターンです。主に餌や空間を巡る直接的な競争によって引き起こされます。
2.
繁殖的形質置換: これは繁殖行動に関わる
形質(例えば、体色、鳴き声、求愛ダンスなど)が変化するパターンです。近縁な種同士が
交雑することで生じる不都合な結果(生存能力の低い雑種が生まれるなど)を避けるための進化と考えられています。
諸概念との差異
形質置換は、他の進化的な概念と混同されがちですが、明確な違いがあります。
小進化との差異:
形質置換は、種間競争を回避できるような遺伝的な
形質が、自然選択によって集団内に広がることで起こります。このような遺伝的な変化は、
突然変異によって生じうるため、
形質置換は生物の集団内で起こる小さな進化である「小進化」の一例と言えます。ただし、これはある種の中で異なる
形質を持つ集団が出現する全般を指すのではなく、
ニッチ競争という特定の条件下での変化を指します。
環境変異との差異:
形質置換によって生じた
形質は、遺伝的に子孫に受け継がれます。一方、環境変異は環境条件によって個体の
形質が変化するもので、遺伝性はありません。例えば、同じサケ科魚類であるヤマメとサクラマスは、淡水に留まるか海洋に下るかという環境によって体型などが変化しますが、これは遺伝的な
形質置換ではなく環境変異に分類されます。
種分化との差異:
形質置換が起こった後でも、
形質が変化する前後の集団間で交配し、生殖可能な子孫を残すことが可能であることが多いです。つまり、「
生殖的隔離」は完全に成立していません。したがって、
形質置換は、二つの集団が相互に交配できなくなる「
種分化」や、それを含む大きな進化の過程である「大進化」とは異なる概念です。しかし、
形質置換によって生じた
ニッチの変化は、異なる
ニッチを占める集団間での交配機会を減少させ、結果として
生殖的隔離が確立され、
種分化につながる可能性が示唆されています。このため、
形質置換は、多様な種が短期間で生まれる「適応放散」の初期段階や原動力となりうる、
進化論において重要な概念と考えられています。
共進化との差異:
形質置換は、複数の種が互いに影響を与え合って進化するという点で、
共進化の一種に含まれます。特に、同じ
ニッチを共有し、近縁な
形質を持つ種同士の間で起こる競争的な相互作用が、
形質置換として現れると解釈されます。
具体例
形質置換の最も有名な例として、
ガラパゴス諸島に生息するダーウィンフィンチ類の研究が挙げられます。
例えば、
ガラパゴス諸島内のクロスマン島やダフネ島には、それぞれコガラパゴスフィンチとガラパゴスフィンチが単独で生息しており、両種は体格もくちばしの大きさもほぼ同じです。しかし、チャールズ島やチャタム島のように、これら2種が共存している島では、種間競争の結果として、それぞれの種が摂取する種子の大きさ(
ニッチ)を分け合っています。コガラパゴスフィンチはより小さな種子を、ガラパゴスフィンチはより大きな種子を主に食べるように変化しました。
この
ニッチの分割に伴い、それぞれの種で効率よく食べられる種子に対応するため、くちばしの大きさに違いが生じました。共存している場所では、コガラパゴスフィンチはくちばしが小さく、ガラパゴスフィンチは大きくなる傾向が見られます。このくちばしの大きさの変化こそが
形質置換の典型的な例です。
ダーウィンフィンチ類は、島ごとに異なる環境に適応して様々な形態に分化しており、適応放散の代表例としても知られています。
ガラパゴス諸島におけるダーウィンフィンチ類の多様化は、このような
形質置換が累積的に起こることで、異なる環境の
ニッチを効率的に利用する多様な種へと進化していった結果であると考えられています。