御厩川岸より両国橋夕陽見

葛飾北斎『冨嶽三十六景』より「御厩川岸より両国橋夕陽見」

葛飾北斎の代表作として名高い『冨嶽三十六景』は、富士山を様々な角度から描いた全46図からなる浮世絵シリーズです。その中の1枚である「御厩川岸より両国橋夕陽見」は、隅田川を舞台にした作品として知られています。落款には「前北斎為一筆」とあり、隅田川を描いた『冨嶽三十六景』三部作の1つとして「隅田川関屋の里」「本所立川」と共に高く評価されています。

江戸の夕景、隅田川の渡し

この作品は、現在の東京都台東区蔵前近辺にあたる御厩川岸から、両国橋と遠方の富士山を望む情景を描いています。御厩川岸は浅草三好町付近にあった河岸で、当時、隅田川には多くの渡し船が行き交っていました。絵画には、本所石原町から御厩川岸へ向かう渡し船の姿が描かれています。ただし、御厩川岸から少し下流には「富士見の渡し」と呼ばれる、富士山を眺めるのに最適な場所があったとされており、絵画の位置関係からするとそちらの可能性も指摘されています。

夕暮れ時の隅田川は、静謐で落ち着いた雰囲気に包まれています。タイトルにもある通り、「夕陽見」と名付けられたこの作品は、江戸の夕景を見事に捉えています。興味深いのは、初期の摺りでは、空を赤く染めるといった手法は用いられておらず、墨の濃淡を巧みに操ることで、徐々に薄暗くなる夕景を表現している点です。しかし、後期の摺りには空を赤く染めたバージョンも存在し、摺りによって表現が異なる点もこの作品の魅力となっています。

北斎の技法：シルエットと視線

北斎は、この作品においても卓越した描写力を見せています。例えば、両国橋の欄干の上には、多数の人々が集まっていますが、薄茶色の線を主線から意図的にずらすことで、人々のシルエットを巧みに表現しています。また、船上の人物も、顔や表情は明確に描かれていません。これは、見る者の視線を風景へと導き、登場人物の視点を共有させるための北斎の工夫と言えるでしょう。富士山を遠景に据え、夕陽に染まる空、渡し船、そして橋の上の人々という構成は、静けさの中に人の営みを感じさせる、北斎ならではの繊細な表現と言えます。

作品を通して見える江戸の風景

「御厩川岸より両国橋夕陽見」は、単なる風景画としてだけでなく、当時の江戸の生活や文化を垣間見ることができる作品です。隅田川の渡し船は人々の生活に欠かせない交通手段であり、両国橋は人々の交流の場であったでしょう。夕暮れの静けさの中で、人々の営みと自然の調和を見事に描いたこの作品は、北斎の芸術性を深く理解する上で重要な作品の一つと言えるでしょう。

参考文献

日野原健司『富嶽三十六景』岩波書店、2019年。ISBN 978-4-00-335811-5。
磯崎康彦「北斎の風景・風俗版画」『福島大学人間発達文化学類論集』34巻、福島大学人間発達文化学類、2021年、124-109頁。http://hdl.handle.net/10270/5478。
* 『版画芸術』203巻、阿部出版、2024年。ISBN 978-4-87242-579-6。

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