杏林大病院割りばし死事件

杏林大学病院割り箸事件：綿菓子と悲劇、そして医療への影

1999年7月10日、東京都杉並区の盆踊り大会。綿菓子を食べていた男児は、兄と母親と共に訪れていました。母親がチケット購入のため席を外した隙に、男児は割り箸をくわえたまま走り出し、転倒。割り箸が喉に深く突き刺さるという事故が発生しました。

男児は一時的に意識を失いますが、すぐに回復。近くの保健室で応急処置を受け、その後、杏林大学医学部付属病院に搬送されました。しかし、医師は喉の裂傷を軽傷と判断。消毒と薬の塗布を行い、抗生物質を処方して帰宅させました。

しかし、夜間に嘔吐を繰り返した男児は翌朝、容態を急変。搬送先の同病院で蘇生処置が行われましたが、死亡が確認されました。司法解剖の結果、喉の奥深くから小脳まで達する割り箸の破片が発見されました。この衝撃的な事実が明らかになり、事件は世間の注目を集めました。

この事故を巡っては、診察にあたった耳鼻咽喉科医の刑事・民事訴訟が展開されました。刑事裁判では、医師の過失が争点となりましたが、東京地裁、東京高裁ともに、医師の過失を認めず無罪判決が下されました。民事裁判でも、医師の過失は認められず、病院側と医師への損害賠償請求は棄却されました。判決は、医師の診察に過失はなく、たとえ適切な処置が行われていたとしても、救命は困難だったと結論づけています。

この事件の医学的側面は特異性を持っています。頭蓋底を割り箸が貫通するケースは極めて稀であり、世界的な症例報告もありませんでした。司法解剖で明らかになったのは、割り箸の先端が頸静脈孔に嵌入し、頭蓋腔に達して静脈内血栓を形成、それが死亡原因となったという事実です。

しかし、検察の取り調べにおいては、検察官による医師への不当な圧力や調書改ざんの疑惑も浮上しました。検察官は医師の供述に対し、結果論に基づいた非難を浴びせ、調書に医師の意図しない訂正を加えたとされています。

この事件は、日本の医療現場に大きな影響を与えました。特に救急医療の現場では、医師が過失致死傷罪で刑事責任を問われる可能性を懸念し、専門外の診療を避ける傾向が強まりました。医療機関も医療紛争リスクを恐れ、救急医療から撤退するケースも増えました。

長谷川誠氏(杏林大学前教授)は、この事件を契機として医療崩壊が大きく進行したと主張しています。医師の過酷な労働環境や低収入に加え、刑事責任追及のリスクが高まったことで、医療現場から医師が離れていく状況を憂慮する声も上がっています。さらに、この事件をきっかけに、医学研究における症例報告や合併症報告、副作用報告も減少。医学情報の共有が阻害されるという問題も指摘されています。マスメディアの報道が医療危機の状況を作り出したという見方もあります。

割り箸事件は、医療過誤と医療責任、そして医療システムの課題を改めて問いかける、痛ましい事故として記憶されています。この事件を通して、医療従事者の労働環境改善、医療訴訟制度の見直し、そして医療現場と社会全体の意識改革が強く求められています。

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