根津一

根津一（ねづ はじめ、1860年6月20日 - 1927年2月18日）は、明治時代に活躍した日本の教育者であり陸軍軍人です。現在の山梨県山梨市にあたる甲斐国山梨郡一町田中村で裕福な家庭に生まれ、幼い頃から武芸だけでなく学問にも励み、特に儒教の経書に親しみました。

軍人の道を歩み始めたのは、西南戦争を機に設置された陸軍教導団への入団からです。ここでは実際に戦地に赴くことはありませんでしたが、首席で卒業する優秀さを示しました。続いて陸軍士官学校（旧4期）の砲兵科に進み、「谷中会」という私的な学びの場を設け、同級生らと時事問題について深く議論するなど、探求心旺盛な日々を送りました。この時期に後の盟友となる荒尾精と出会い、共に中国大陸への関心を高めていきます。

士官学校卒業後、広島鎮台に配属された根津は、「砲兵駆足少尉」と称されるほど厳しい訓練を部下に課す一方で、一日三升の酒をたしなむ豪胆な一面も持ち合わせていました。しかし、こうした豪放磊落な振る舞いの陰で、勉学への情熱を失うことはなく、難関である陸軍大学校への入学を果たします。陸大では、ドイツから招かれた教官メッケル少佐がドイツ軍を至上とし日本軍を軽視する態度に反発し、激しく対立します。この衝突の結果、根津は将来を嘱望されていた参謀としてのキャリアを断念せざるを得ない「諭旨退学」という形で陸大を去ることとなりました。最終的に陸軍少佐で予備役に編入されますが、この挫折は彼の思想形成に大きな影響を与えます。彼は当時の近代化過程で技術教育ばかりが重視され、人間性や道徳性の育成が軽視される風潮を批判し、『将徳論』『哲理論』といった著作を発表しました。

陸大退学後、東京や仙台の砲兵連隊、あるいは参謀本部で軍務に就きましたが、一方で民間人や陸軍幼年学校、士官学校の学生有志を対象に経書の講義を行ったり、中国に関する議論を重ねたりと、軍のエリート層が欧米志向に傾倒する中で、一貫して中国を重視する姿勢を保ち続けた稀有な存在でした。

盟友である荒尾精が上海で日清貿易研究所を開設すると、根津は予備役の身分ながら参加の許可を得て中国大陸へ渡ります。資金調達などで不在がちであった荒尾に代わり、研究所の実質的な運営責任者として教育活動を推進しました。この時期に彼は、荒尾らの中国現地調査をもとにした中国に関する総合的な知識を体系化した『清国通商綜覧』を編纂・刊行しました。これは当時の日本において、古典的な知識に偏りがちだった中国像に対し、生きた現代中国の姿を伝える貴重な資料となりました。

日清貿易研究所は資金難と日清戦争前夜の緊迫した情勢を受けて閉鎖を余儀なくされます。軍への復帰要請を一度は断り、京都で禅に傾倒する静かな生活を送っていましたが、日清戦争開戦にあたり、その能力と中国通としての経験を請われて軍務に復帰します。根津は上海へ密航して情報収集活動を行い、帰国後は広島の大本営で開かれた御前会議に列席し、「根津大尉の長奏上」として知られる詳細な情勢報告と作戦提言を行いました。その後、実戦にも従軍して功績を挙げた後、再び軍籍を離れ京都での生活に戻りました。

しかし、彼の持つ卓越した能力と中国に関する深い知見は高く評価されていました。東亜同文会の会長であった近衛篤麿は、上海に設立される新たな高等教育機関、東亜同文書院の院長として根津を招請します。根津はこの要請を受け入れ、同書院の初代および後に第3代院長を務め、その基礎確立と発展に尽力することになります。

東亜同文書院における根津の教育は、荒尾精が日清貿易研究所で目指した「貿易富国」（日中が経済的に繁栄することでアジアの平和を築く）という理念に基づいた、商業活動の即戦力となる人材育成という側面を引き継ぎました。しかし、それ以上に根津が重視し、教育の根幹に据えたのが人間形成、特に道徳教育でした。彼は入学式で学生たちに学問だけでなく人間性を磨くことの重要性を説き、院長として20年以上にわたり自ら「倫理」の授業を担当し、儒学の古典である『大学』を講義しました。根津一にとって東亜同文書院は、単なる知識を詰め込む場ではなく、学生たちが将来、日中関係の架け橋となるにふさわしい高潔な人格を形成するための「人間道場」だったのです。その生涯を通じて、軍人、教育者、そして日中関係に尽力した人物として、根津一はその名を刻んでいます。

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