検事の死命

『検事の死命』は、ベストセラー作家・柚月裕子が手がけるリーガルミステリーシリーズ「佐方貞人」の第三作にあたる中短編集です。前作『検事の本懐』と同様に、主人公である検事・佐方貞人が関わった事件を収めた作品集ですが、描かれているのは前作から1～2年が経過し、30歳頃となった佐方の姿です。

前作では主に刑事部に所属し、起訴に至るまでの捜査段階が物語の中心でしたが、本作、特に表題作の中編「死命」の途中からは、佐方は公判部へと異動します。これにより、物語は捜査から公判へと舞台を移し、佐方が検事として法廷で証拠を示し、証人を尋問するといった、より直接的で緊張感のある展開が描かれるようになります。

本書には、後にテレビドラマの原作にもなった表題作を二編に分けた「死命を賭ける」「死命を決する」を含む、三つの中・短編が収録されています。それぞれのあらすじと見どころは以下の通りです。

心を掬う
郵便物が宛先に届かないという、一見すると日常的なトラブルから物語は始まります。増田事務官は常連客や同僚から同様の不着の話を聞いてもさほど気に留めませんが、佐方は違いました。郵便物がいつ、どこで投函されたのかといった詳細な聞き込みを指示し、さらには郵政監察官への連絡も促します。佐方の粘り強い探究心と緻密な捜査によって、見過ごされがちな事象の背後に隠された意外な真実が明らかになっていきます。

業をおろす
佐方の故郷である次原市での父・陽世の十三回忌が舞台です。法事のために帰省した佐方には、もう一つの目的がありました。それは、父の高校時代の親友であり、法事が執り行われる龍円寺の住職である上向井英心から、父がかつて横領の嫌疑をかけられた事件の真相を聞き出すことでした。弁護士であった父が、裁判前に返済すれば実刑を免れられたはずなのに、なぜそれをしなかったのか。佐方は父の知られざる苦悩や想いに触れることになります。これは、シリーズ前作『検事の本懐』に収録された短編「本懐を知る」の完結編にあたるエピソードです。

* 死命を賭ける / 死命を決する
本書の核となる中編であり、2016年にテレビドラマ化もされたエピソードです。電車内での痴漢容疑で逮捕・送致されてきた武本弘敏は、犯行を一切否認し、逆に被害を訴える女子高生・仁藤玲奈から脅迫されたと主張します。過去に問題行動がある玲奈と、地元名家の婿で強力な後ろ盾を持つ武本。両者の証言は完全に食い違い、どちらかが虚偽を述べているのは明白でした。佐方は困難と向き合いながら捜査を進め、武本の起訴を決意しますが、強力な権力を持つ上層部からの圧力により決裁は難航します。しかし、米崎東署の南場署長や佐方を支える筒井事務官らの協力もあり、ついに公判へと持ち込まれます。検事としてのプライドと信念、そして自身の「死命」を懸け、佐方は強大な社会的な力と対峙し、法廷という場で真実を明らかにするための孤独な闘いに挑みます。この物語では、武本家の複雑な家柄、有力代議士・大河内定和の存在などが、佐方が立ち向かう壁の高さを示しています。

本書に登場する人物たちは個性的で、物語に深みを与えています。佐方を支えるベテラン事務官の筒井や、実直な増田といった地検の仲間たち、事件捜査に協力的な南場署長ら警察官の姿も描かれます。「死命」においては、権力を持つ武本家の人々やその関係者、事件の鍵を握る被害者家族、さらには佐方の行く手を阻む検察内部の思惑なども丁寧に描写されています。

『検事の死命』の最大の魅力は、佐方貞人という検事の、いかなる圧力や困難にも屈しない強い正義感と、真実を追求する揺るぎない姿勢です。特に表題作における法廷での緊迫したやり取りは、リーガルサスペンスとしての醍醐味を存分に味わわせてくれます。シリーズを通して読むことで佐方の人物像や背景がより深く理解できますが、本作単独でも、佐方の信念に触れ、魅力的なキャラクターと引き込まれるストーリーを楽しむことができます。

本作は2013年に宝島社より単行本として刊行された後、宝島社文庫、そして角川文庫から新装版として文庫本が発売されています。また、中編「死命」を原作としたテレビドラマが2016年に制作・放送されました。物語の中では、違法収集証拠排除法則や強制わいせつ罪といった法的な知識、そして漫画『あしたのジョー』からの引用なども織り交ぜられており、読者に様々な側面から物語への関心を抱かせます。

もう一度検索