構造的暴力

構造的暴力：社会構造が引き起こす見えない暴力

構造的暴力とは、特定の個人や集団を犯行主体として断定できない社会構造自体が引き起こす暴力の形態です。物理的暴力だけでなく、心理的な暴力、間接的な暴力なども含まれます。貧困、飢餓、抑圧、差別、不平等な社会システムなどが、構造的暴力の典型例として挙げられます。これらの要因は、個々人の潜在能力を阻害し、不当な苦痛や損失をもたらします。

直接的暴力との対比

構造的暴力と対照的な概念として、直接的暴力があります。これは、特定の個人や集団が明確に暴力行為を行い、他者に直接的な危害を与えるものです。戦争やテロ、暴行などは直接的暴力の典型例です。政治的暴力も、直接的暴力の一種に含まれます。

平和研究においては、直接的暴力がない状態を消極的平和、構造的暴力がない状態を積極的平和と定義します。真の平和とは、消極的平和と積極的平和の両方が実現した状態と言えるでしょう。

ガルトゥングの理論：暴力概念の拡張

構造的暴力という概念は、1969年、ノルウェーの平和研究者ヨハン・ガルトゥングによって提唱されました。ガルトゥングは、平和を追求する上で、暴力の概念を従来よりも広範に捉える必要性を主張しました。

従来、暴力は物理的な攻撃に限定的に捉えられていました。しかし、ガルトゥングは、間接的、潜在的な危害が社会構造に組み込まれている状態も暴力に含めるべきだと主張しました。彼の定義によれば、「ある人が、社会構造の影響によって、潜在的に実現可能な状態を下回る状態に置かれている場合、そこに暴力は存在する」ことになります。

ガルトゥングは、暴力の形態を様々な側面から分類し、その中で構造的暴力（または間接的暴力）を最も重要な概念として位置づけました。構造的暴力は、明確な加害者が存在しないため、その存在を認識しにくいのが特徴です。しかし、その影響は甚大であり、多くの人の生活や権利を侵害します。

構造的暴力と平和研究

構造的暴力の概念は、平和研究の対象範囲を大きく拡大しました。従来、平和研究は主に戦争や紛争といった直接的暴力に焦点を当てていましたが、構造的暴力の概念は、貧困や差別といった社会問題も平和研究の重要な対象であることを示しました。

21世紀には、人間の安全保障という概念が注目を集めていますが、これは、構造的暴力への関心の高まりを反映したものです。人間の安全保障は、個人の安全を確保するために、社会構造そのものへの介入が必要であることを示しています。

構造的暴力への対策

構造的暴力への対策は容易ではありません。明確な加害者がいないため、直接的な対策を講じることが難しいからです。しかし、社会構造を変えることによって、構造的暴力を減らすことは可能です。そのためには、社会的不平等を是正し、貧困や差別を解消するための政策が必要となります。また、人々の意識改革も不可欠です。

構造的暴力と直接的暴力のどちらがより重要か、といった議論は意味がありません。両者は密接に関連しており、どちらの問題も解決することが真の平和への道となります。構造的暴力を理解し、対策を行うことは、より平和で公正な社会を築くために不可欠なのです。

参考文献

池尾靖志「平和学の課題」、『平和学をつくる』、晃洋書房、2014年
ヨハン・ガルトゥング「暴力・平和・平和研究」、高柳先男・塩屋保・酒井由美子訳『構造的暴力と平和』、中央大学出版部、1991年
佐藤安信「南北問題から人間開発へ」、児玉克哉・佐藤安信・中西久枝『はじめて出会う平和学　未来はここからはじまる』（有斐閣アルマ）、有斐閣、2011年
高柳先男『戦争を知るための平和学入門』（ちくまプリマーブックス130）、筑摩書房、2000年

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