民衆の敵 (1978年の映画)

『民衆の敵』(1978)は、スティーブ・マックイーン主演による社会派ドラマ映画です。ヘンリック・イプセンの同名戯曲をアーサー・ミラーが脚色し、ジョージ・シェーファーが監督を務めました。

物語の中心人物は、ノルウェーの小さな町の医師、トマス・ストックマン（スティーブ・マックイーン）です。彼は町の近くに湧き出る温泉が、皮革工場からの排水によって汚染されていることを発見します。観光収入増加に期待する町にとって、この汚染は大きな問題です。

トマスは、この事実を地元紙「メッセンジャー」に告発しますが、同紙は町長のピーター（トマスの兄、チャールズ・ダーニング）の圧力によって記事掲載を拒否します。ピーターは、トマスに汚染問題を黙秘するよう持ちかけ、温泉開発による利益を彼に与えることを提案しますが、トマスは正義を貫くことを選びます。

真実を明らかにしようと、トマスは住民集会を開きますが、ピーターと記者たちの妨害にあい、訴えは届きません。トマスとその家族は町民から激しいバッシングを受け、娘は学校を停学になり、自宅には石が投げつけられるなど、厳しい現実を突きつけられます。妻のキャサリン（ビビ・アンデショーン）と子供たちは、アメリカへの移住を提案されますが、それを拒否。トマスの正義を信じ、時が経て真実が明らかになるまで待つことを選びます。しかし、彼らの決意にも関わらず、新たな嫌がらせが襲いかかります。

この映画は、単なる環境問題だけでなく、権力者による情報操作や、個人の正義と社会の圧力との葛藤を深く掘り下げています。トマスの行動は、彼を孤立させ、家族にも大きな負担をかけますが、彼の信念は揺るぎません。

製作面では、当時世界最高峰のスターだったスティーブ・マックイーンが、自身の制作会社ソーラー・プロダクションを通じて製作に関わった点も注目に値します。彼は、アクションスターとしてのイメージからの脱却を図り、高い演技力を要求するこの作品に挑戦しました。

マックイーンは、この作品への参加について、自身のライフワークとして戯曲に挑戦したいという意欲を語っています。しかし、周囲からは当初、彼の決断に疑問の声が上がりました。長年アクション映画で活躍してきた彼にとって、セリフ中心の演技は大きな挑戦であり、ギャラを下げてまでこの作品に携わったことに対する驚きの声もありました。彼の妻、アリ・マッグローは、マックイーンがチェーホフやストリンドベリなどの古典文学に触れ、感受性が深まったことを証言しています。

監督のジョージ・シェーファーは、舞台劇の雰囲気をそのまま映画に再現することにこだわりました。特にレンズ選びには細心の注意が払われ、29ミリの広角レンズを使用することで、舞台劇のような明るさと臨場感を画面に映し出しています。

映画は1976年に製作されましたが、マックイーンの容貌の変化や、セリフ中心の内容が、当時のマーケティング戦略と合致しなかったため、公開は1978年まで延期されました。さらに、限定公開に終わった後、興行成績も振るわず、その後長らく日の目を見ることはありませんでした。日本でも1983年にごく一部の劇場で短期間公開されたのみでした。ホームメディア化も2009年まで待たなければなりませんでした。

『民衆の敵』は、スティーブ・マックイーンの俳優としての幅の広さを示す、忘れ去られた名作と言えるでしょう。環境問題や、正義と権力との闘いを描いた社会派ドラマとしての価値だけでなく、マックイーン自身のキャリアにおける転換点、そして、その後の彼の映画人生に影響を与えた作品として、再評価されるべき作品です。

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