深川万年橋下

葛飾北斎が天保年間（1830～1835年頃）に制作した『冨嶽三十六景』は、富士山を様々な角度から描いた名作揃物として知られています。その中の1枚である「深川万年橋下」は、独特の構図と表現で多くの鑑賞者を魅了する作品です。

この作品は、東京都江東区にあった万年橋とその周辺を描写しています。万年橋は小名木川と隅田川が合流する地点に架かっていた橋で、絵画では大きく弧を描くその姿が中心に配置されています。橋の上には多くの人々が行き交い、活気ある江戸の街並みが感じられます。橋の対岸には武家屋敷が立ち並び、奥には富士山が穏やかに佇んでいます。

「深川万年橋下」の大きな特徴は、その幾何学的な画面構成です。橋と川、そして富士山が絶妙なバランスで配置され、全体として安定感と奥行きが感じられる構図となっています。これは、北斎が意図的に計算された構成であると考えられています。特に、海抜の低い地域での洪水対策として両岸が高く石積みされている様子が強調されている点は、当時の都市環境を知る上で貴重な視覚資料となっています。

また、一見すると見落としがちな富士山は、橋の下の空間の左側に控えめに描かれています。しかし、この控えめな存在感が、むしろ画面全体の奥行きを強調し、静けさと雄大さを同時に感じさせます。さらに、川面を航行する二隻の船が舳先を富士山の方向に向けていることで、見る者の視線を自然と富士山へと導く効果を生み出しています。

この構図は、河村岷雪の『百富士』（明和8年、1771年）に収録されている「橋下」という作品からの着想を得ていると考えられています。北斎は、40代後半頃に制作した版画『たかはしのふじ』において、洋風表現の試みと合わせてこの構図を採用しています。そして、その後の作品である『富嶽百景』二編「七橋一覽の不二」においても、同様の構図が見られます。

日野原健司氏の指摘によると、岷雪の「橋下」はより現実に即した表現であるのに対し、北斎の「深川万年橋下」は、橋全体が視野に入るような位置から描かれています。これは、現実的には困難な構図ですが、北斎はそれを違和感なく表現することに成功しています。その妙技には、北斎自身の解説書『北斎漫画』に記されている「三ツワリの法」（透視図法）が用いられていると推測されています。この透視図法によって、川の両岸が自然で正確に描かれ、作品にリアリティと奥行きが加えられています。

「深川万年橋下」は、大胆な構図、繊細な描写、そして北斎の高度な透視図法の技が融合した、まさに傑作と言える浮世絵です。富士山を主題としながらも、江戸時代の街並みや人々の生活、そして巧みな画法によって、多様な魅力を凝縮した作品と言えるでしょう。一見の価値あり、深く鑑賞に堪える一枚です。

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