瀕死の白鳥

瀕死の白鳥

『瀕死の白鳥』（原題：『白鳥』）は、バレエ史上最も象徴的な小品の一つです。これは振付家ミハイル・フォーキンが、ロシアが生んだ偉大なバレリーナ、アンナ・パヴロワのために創作したソロ作品であり、カミーユ・サン＝サーンスの組曲『動物の謝肉祭』に含まれる第13曲『白鳥（Le Cygne）』に振付けられています。わずか4分程度の短い作品ながら、湖で傷つき、懸命に生きようとしながらもやがて力尽きる一羽の白鳥の姿を通して、「生の終わり」という深いテーマが描かれています。1905年にロシアのサンクトペテルブルクで誕生し、パヴロワはこの作品を自身の代名詞として、生涯にわたり約4000回も世界各地で上演しました。

創作の背景

作品は、マリインスキー・バレエでプリマとして活躍し始めたばかりのアンナ・パヴロワの依頼によって生まれました。彼女は公園で見た白鳥の姿や、テニスン卿の詩『瀕死の白鳥』からインスピレーションを得て、ガラ公演で披露するソロ演目を求めてフォーキンに相談を持ちかけました。フォーキンは、かつて友人との演奏で親しみがあったサン＝サーンスの『白鳥』を提案。パヴロワがこの音楽に賛同したことから創作が開始され、振付は驚くほど短い期間で完成に至りました。当初はシンプルに『白鳥』というタイトルでしたが、パヴロワ自身が「死」を作品のクライマックスと解釈したことで、現在の『瀕死の白鳥』という名称が定着しました。

振付と構成

『瀕死の白鳥』は、ダンサーの卓越した表現力が要求される作品です。振付は、足元の細かなステップであるパ・ド・ブーレ・スイヴィと、それを支える上半身と腕の流れるような動きによって構成されています。特に腕の表現は、白鳥が羽ばたく様子や、死が迫る中で羽根を震わせる様子を描写するために極めて重要です。フォーキン自身は、この作品が白鳥そのものを写実的に描いたものではなく、死という普遍的なテーマを白鳥に託した「暗喩」であると語っています。彼の孫娘イザベル・フォーキンは、この作品がダンサーに対し技術的な難しさよりも、死に抗うあらゆる動きやジェスチャーに意味を与える「とてつもない芸術的要求」を課すと述べています。

初演と歴史的評価

公式な初演は1907年12月22日、サンクトペテルブルクの貴族会議ホールでのガラ公演で行われ、アンナ・パヴロワによって踊られました。アメリカ初演は1910年にニューヨークのメトロポリタン歌劇場で行われ、評論家からは「パヴロワが見せた芸術の中で最も美しいもの」と絶賛されました。パヴロワがこの作品に寄せた思いは深く、臨終の床で「私の白鳥の衣装を用意して」と語ったという逸話が残されています。芥川龍之介は、1922年の日本公演でパヴロワの『瀕死の白鳥』を見て、「露西亜舞踊の印象」の中でその表現力を高く評価しています。

遺産と影響

『瀕死の白鳥』は、発表後すぐに世界中のバレリーナによって踊られるようになりました。フォーキンは1925年に正式な振付集を出版し、多くのダンサーがこの規範を参考にしました。この作品は、ピョートル・チャイコフスキーの『白鳥の湖』におけるヒロイン、オデット姫の解釈、特に湖畔でのシーンの表現に影響を与えたとも言われています。また、パヴロワの死後も様々な形で受け継がれ、彼女の代名詞となりました。後には新たな解釈や翻案も生まれ、マイヤ・プリセツカヤは老いと戦う白鳥として踊り、コメディバレエ団であるトロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団はパロディ版を上演しています。さらに、映画化されたり（1917年の同名ロシア映画はバレエ作品とは異なる物語）、フラフープやフィギュアスケートといった異分野でもインスピレーションを与えています。

近年、新型コロナウイルス感染症のパンデミック下では、バレエ界も困難に直面しましたが、『瀕死の白鳥』は希望の象徴として新たな形で上演されました。バーミンガム・ロイヤル・バレエ団はリモートでの演奏・上演を行い、アメリカン・バレエ・シアターのミスティ・コープランドは、他の多くのダンサーと共にリモートで作品を踊り、チャリティ活動を実施しました。

『瀕死の白鳥』は、一羽の白鳥の短い命を通して、生と死、美と哀愁を描き出す、時代を超えて愛されるバレエ作品です。その普遍的なテーマと、演じるダンサーに要求される深い芸術性は、多くの人々を魅了し続けています。

もう一度検索