焰 (アルバム)

U2『焰』(The Unforgettable Fire) - 創造的な変貌を遂げた一枚

アイルランド出身のロックバンド、U2が1984年にリリースした4枚目のスタジオアルバムが『焰』（ほのお、原題：The Unforgettable Fire）です。前作『WAR(闘)』とその成功を収めたツアーを終え、バンドはこれまでのサウンドから脱却し、新たな音楽的方向性を模索することを決意しました。特に、プロデューサーを務めてきたスティーヴ・リリーホワイトからの離脱を試み、多様な候補の中から新たな協力者を探しました。

最終的に白羽の矢が立ったのは、前作の候補でもありながら一度は断られていたブライアン・イーノでした。エッジがイーノのアンビエント作品の熱心なファンであったことが、この選択に大きく影響したとされています。イーノは当初、自らがプロデュースを手がけるのではなく、協働者であるダニエル・ラノワを後押しする意図でU2とのセッションに臨みましたが、結果的にはイーノ、ラノワの二人が共同でプロデュースを担当することになりました。

当時としては異例とも言えるこのプロデューサー陣の組み合わせは、音楽業界に少なからぬ衝撃を与えました。特に所属レーベルであるアイランド・レコードの社長クリス・ブラックウェルは、前衛的な音楽家であるイーノが、商業的成功を収めつつあったU2の音楽性を破壊してしまうのではないかと危惧し、強い懸念を示したほどです。

アルバム制作は、アイルランドにあるスレーン城での約1ヶ月間の泊まり込み合宿形式で行われ、メンバーとスタッフが寝食を共にしながら創造的なプロセスを深めました。その後、ウィンドミル・レーン・スタジオで最終的な仕上げが行われました。完成した作品は、これまでのU2の力強いロックサウンドとは趣を異にし、アンビエントな要素を取り入れた内省的なサウンドが特徴となりました。特にエッジのギターサウンドは、バンド全体を牽引する存在から、曲を構成する一部としての役割へと変化したと評されています。メンバー自身もこの新しい音楽的アプローチに対して完全に確信を持てずにいましたが、制作途中の音源を聴いたスティーヴ・リリーホワイトから「『Pride』がある限り、君たちは大丈夫だ」という励ましの言葉を受け、自信を得たと言われています。

アルバムタイトルの『The Unforgettable Fire』（忘れざる炎）は、広島および長崎への原爆投下を経験した被爆者たちが描いた絵画展のタイトルから取られています。U2のメンバーがアメリカツアー中にシカゴのピース・ミュージアムでこれらの絵画に触れ、深い感銘を受けたことが命名のきっかけとなりました。

本作からは、バンドの代表曲の一つとしてライブでも定番となっている「プライド (In the Name of Love)」がシングルカットされ、広く知られることになります。この曲を含む「7月4日」、「MLK」は、アメリカの公民権運動の指導者、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師に捧げられています。

ジャケット写真は、アルバム完成からリリースまでの期間に、写真家アントン・コービンと共にアイルランド各地を旅して撮影場所を探した結果、ダブリンとゴールウェイの間にあるアルスター地方のモイドラム城を背景に撮影されたものです。しかし、この構図がイギリスの写真家サイモン・マースデンの写真集からの盗用であることが発覚し、バンドがサイモンに賠償金を支払う事態となりました。

収録曲には、ルーマニアの詩人ポール・ツェランの詩に触発された「ソート・オブ・ホームカミング (A Sort Of Homecoming)」、ヘロイン中毒の蔓延という社会問題に触れた「ワイヤー (Wire)」や「バッド (Bad)」、ボノの私生活（自宅周辺の海岸沿いの街ブレイ）を基にしたとされる「プロムナード (Promenade)」、偶然その日に録音され、エッジの娘の誕生を記念して名付けられた唯一のインストゥルメンタル曲「7月4日 (4th Of July)」、そして、ボノがバックトラックに合わせて即興で歌ったテイクをイーノがそのまま採用したという異色の楽曲「プレスリーとアメリカ (Elvis Presley and America)」など、様々な背景を持つ楽曲が収録されています。特に「バッド」はライブにおける重要なレパートリーとなりました。

1985年には、アルバム収録曲のミュージックビデオと、スレーン城での制作過程を記録したドキュメンタリーを収めた映像作品『アンフォゲッタブルファイアー・コレクション』がリリースされ、アルバムの世界観を視覚的にも伝えています。

『焰』はリリース当時から各国の音楽メディアで高く評価され、NME、メロディ・メイカー、ホットプレスなどの年間ベストアルバムリストに多数選出されました。また、後年にはオールタイムベストアルバムリストにも頻繁にランクインしており、その音楽的な重要性と影響力が時代を超えて認められています。一方で、あるメディアのオールタイムワーストアルバムリストに名を連ねたこともあり、その実験的なサウンドが賛否両論を巻き起こした側面も示しています。このアルバムは、U2が単なるロックバンドから、音楽的に多様な表現を追求するアーティストへと飛躍する上での重要な転換点となった作品と言えるでしょう。

もう一度検索