片岡仁左衛門一家殺害事件

片岡仁左衛門一家殺害事件

1946年3月、東京・千駄ヶ谷で歌舞伎役者、十二代目片岡仁左衛門一家5人が殺害されるという、戦後の混乱期を象徴するような凄惨な事件が発生しました。この事件は、一家に住み込んでいた男による犯行であることが明らかになり、当時の社会に大きな衝撃を与えました。

事件の概要

殺害されたのは、片岡仁左衛門（当時65歳）、妻で元日活女優の小町とし子（当時26歳）、二人の間に生まれた四男（当時2歳）、そして住み込みで働いていた女中2人（当時12歳と69歳）の計5名です。犯人は、全員の頭部を薪割り用の斧で殴打するという残虐な手口で殺害しました。特にとし子夫人は執拗に殴打されており、その凄惨さが際立っています。

事件後、捜査線上に浮かび上がったのは、殺害された女中（当時12歳）の兄であるI（当時22歳）でした。Iは事件直後から行方をくらませていましたが、警察の捜査により、宮城県の温泉地で逮捕されました。

犯行動機

捜査の結果、Iは仁左衛門邸で座付見習作家として住み込みで働いていましたが、当時の食糧事情の悪さから、十分な食事が与えられていなかったことが明らかになりました。Iは1日わずか2食、合計で1合3勺程度しか米を与えられておらず、電気コンロで蓄えた米を食べる夫妻との待遇の差に不満を抱えていたようです。

さらに、とし子夫人との間に諍いが絶えなかったことや、事件直前に仁左衛門から「作家としてのセンスがない」と激しく罵倒されたことが、犯行の動機になったとされています。事件前日には、これまで配給されていた米をメリケン粉に変更すると伝えられ、さらに「原稿を書き上げたら出て行け」と怒鳴られた上、書いた原稿を「これでも作家か！」と罵倒されたことで、Iの怒りは頂点に達しました。

そして、事件当日の早朝、Iは用を足しに行った際、薪割り用の斧に足をぶつけたことをきっかけに、一家全員を殺害したと供述しています。その後、台所にあった米と砂糖を食し、現金580円を盗んで逃走しました。妹まで殺害した理由については、止めに入った妹を勢い余って殺してしまったと供述しています。これらの供述は、あくまでIの証言に基づくものであり、仁左衛門夫妻のIに対する実際の待遇については、遺族や関係者から異なる主張も出ています。

精神鑑定と裁判

Iには過去に精神障害の既往歴はありませんでしたが、取り調べの過程で、犯行当時から逃走時までの記憶が欠落していることが判明しました。そのため、東京大学医学部精神科の内村祐之教授による精神鑑定が行われました。鑑定結果は、激しい情動による一時的な意識障害があった可能性を示唆するものでした。一方、別の鑑定医である菊池甚一は、少なくとも2人目以降の殺害については、一時的に精神病状態であったと結論づけています。

1947年10月22日、Iは無期懲役の判決を受けました。求刑は死刑であり、5人を残虐な手口で殺害したことを考慮すれば、責任能力が認められれば死刑が相当な事件でした。しかし、判決ではIの責任能力は認められたものの、低栄養や片岡家での葛藤、事件前夜からの紛争、不眠などが原因で、Iの感情が著しく興奮し不安定な状態であったことが考慮され、死刑判決は回避されました。なお、Iは1960年代に恩赦で釈放されたとされていますが、その後の消息は不明です。

事件の教訓

この事件は、戦後の混乱期における食糧難や貧富の差、社会の不公平さが、いかに悲劇を生み出すかを物語る教訓として、今もなお語り継がれています。また、精神鑑定の結果が必ずしも判決に反映されるわけではないという司法の側面も、この事件を通じて知ることができます。

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