牛群の帰り

ピーテル・ブリューゲル『牛群の帰り』：秋の叙情と農民賛歌

ピーテル・ブリューゲル作『牛群の帰り』（1565年）は、フランドル派絵画の最高峰の一つとして知られています。油彩で描かれたこの作品は、異なる季節を表した6枚の連作のうちの一つであり、晩春を描いた作品を除く5枚が現存しています。10月、11月を思わせる秋の色彩と落葉した木々が特徴的で、静謐ながらも力強い情景が描き出されています。

作品の背景と制作依頼

この連作は、アントウェルペンの富裕な金融業者であり美術収集家でもあったニコラース・ヨンゲリンクの依頼によって制作されました。ヨンゲリンクはハプスブルク家の庇護者でもあり、ブリューゲルの作品を16点も所有していた重要なパトロンでした。彼はアントウェルペンの郊外に別荘を構え、「季節画」連作をそのサロンに飾っていたと推測されます。当時の富裕層は、週末に別荘で文化交流を楽しむのが習慣であり、ヨンゲリンクの別荘にはブリューゲルの作品に加え、フランス・フロリスの神話画連作なども飾られていたと言われています。

ブリューゲル研究者の森洋子氏は、ブリューゲルの「季節画」が従来の聖務日課書や時祷書、月歴版画と大きく異なる点を指摘しています。それは、ブリューゲルが貴族や市民の行事ではなく、農民を主人公として描いている点です。彼は、農民の伝統的な月ごとの農作業に縛られることなく、季節感豊かな自然の中で勤勉に働く農民の姿を賛美しているのです。

作品の詳細

『牛群の帰り』は、秋の情景を表現するのに最適な主題として、ブリューゲルの創造性によって生み出されました。従来のフランドルの時祷書には、この様な牛群の帰還を描いた図像はありません。牧人たちによって牛の群れが畜舎へと導かれる様子が、細やかに描写されています。ブリューゲルは、群衆や家畜の後ろ姿を好んで描く傾向があり、この作品でも牛の後ろ姿が画面の大部分を占めています。牛群の移動と川の流れる方向が対角線上に並行しているのも、画面構成上の特徴です。

画面の中景にはブドウ摘み、遠景には山道でのブドウ運びが描かれており、これは時祷書の9月または10月の作業を表していると考えられます。さらに、川の対岸では豚にドングリを与えている様子も見られます。これらも秋の作業を示唆する描写です。色彩は、秋の落ち着いた雰囲気を表すように、褐色のトーンを基調とし、白、黒、モスグリーンが効果的に用いられています。特に、画面手前中央の白い牛と画面上部の暗い雲の対比が印象的です。

季節画連作

『牛群の帰り』を含む「季節画」連作は、当初はヨンゲリンクが所有していましたが、その後アントウェルペン市を経て、ハプスブルク家の所有となり、現在ウィーン美術史美術館に収蔵されています。現存する5枚の季節画は、それぞれが異なる季節の情景を鮮やかに描き出し、ブリューゲルの優れた描写力と深い自然観、そして農民への共感を感じさせる傑作として、世界中の人々を魅了し続けています。

参考文献

『ウイーン美術史美術館 絵画』、スカラ・ブックス、1997年
森洋子『ブリューゲルの世界』、新潮社、2017年
阿部謹也・森洋子『カンヴァス世界の大画家11　ブリューゲル』、中央公論社、1984年
岡部紘三『図説ブリューゲル　風景と民衆の画家』、河出書房新社、2012年
幸福輝『ブリューゲルとネーデルラント絵画の変革者たち』、東京美術、2017年
小池寿子・廣川暁生監修『ブリューゲルへの招待』、朝日新聞出版、2017年

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