生れ出づる悩み

生れ出づる悩み

有島武郎による中編小説『生れ出づる悩み』（うまれいづるなやみ）は、1918年（大正7年）に『大阪毎日新聞』および『東京日日新聞』にて連載されました。しかし、作者の病により全編を完結することなく、連載は第八章の途中で打ち切られます。その後、未完の部分が書き加えられ、新聞掲載時の内容にも手が加えられた上で、有島武郎著作集の第六集に初めて単行本として収められました。作品の題名については、「生れ出る悩み」「生れ出づる悩み」「生まれ出づる悩み」「生まれ出ずる悩み」「生まれいずる悩み」など、表記に複数の揺れが見られます。

あらすじ

物語は、自身の文学活動を神聖な営みと捉えようと苦闘する語り手である「私」が、ふとした寂しさから一人の若者「君」について思いを巡らすところから始まります。かつて「私」のもとを訪れ、力強い印象を残して去った「君」から、十年ぶりに手紙とスケッチ帳が届きます。「私」と再会した「君」は、別れてからの歳月で経験した漁夫としての生活と、芸術を追求する上での葛藤を率直に語ります。「君」が翌朝すぐに帰って行くのを見送った後、「私」は「君」の語った内容をもとに、深い共感を覚えながら彼の人生と苦悩を書き起こし始めます。「君」が想像の中で極度の思い詰めに至ったところで、「私」は物語に一つの区切りをつけ、この「君」と同様の疑念や困難に直面する全ての人々にとって、希望の道が開かれ、明るい未来が訪れることを心から祈るのです。

登場人物

私: 物語を語る文学者。札幌で暮らしていた頃からの知人である「君」と十年ぶりに再会し、彼の体験や手紙から得た想像を頼りに「君」の姿を描写していきます。
君（木本）: 札幌で「私」のもとを訪れ、絵によって強い印象を残した少年。十年後、「私」と再会し、その間に送った貧しい漁夫としての生活と芸術への苦悩を打ち明けます。
農場の人々: 「私」が「君」と会うことになった農場を預かる夫婦とその子供。夫婦は体が大きく、「君」の際立った体格を引き立てる描写があります。彼らは「君」を親身に気遣いますが、彼は嵐の中、帰路につきます。農場近くの水車番も登場し、「君」に道を教える親切な人物として描かれます。
岩内の人々: 「君」が暮らす漁村の人々。「君」の家族は、かつて大きな漁場を持っていましたが困窮しています。頑強な精神を持ち、過酷な運命に立ち向かいますが、漁場の状態悪化やニシンの不漁により追い詰められていきます。父（海の男のような老漁夫）、兄（漁夫向きの体格ではない）、妹（家業を手伝う）、母（病で亡くなった）、嫂（兄の妻）などが描かれます。また、村の漁夫たち（雇われ漁夫、他の多くの漁夫たち）や、彼らを支えるお内儀さんたち、水難救済会の人々も登場し、漁村の厳しくも力強い生活を描写します。春になると現れる海産物の仲買いや、村の往来で「君」に声をかける年配の女性なども、情景を豊かにしています。
* 町の人々: 札幌のデパートで働く手代、スケートに夢中な子供などが描写されます。「君」が岩内で唯一心を許して話せる友人Kは、文学に関心を持ちつつも、父の調剤師の仕事を受け継ぐ道を選んだ人物です。Kの父は気難しく、「君」を快く思っていません。

モデル

作中に登場する「君」（木本）は、実在の画家・木田金次郎がモデルであることが知られています。大正七年一月十七日付の足助素一宛の有島武郎の書簡には、北海道の漁夫である木田から絵についての手紙が届き、彼を題材に作品を描きたいと考えている旨が記されています。木田金次郎美術館の解説や、木田自身の自伝、有島全集の解説などにおいて、有島と木田の親密な交流がこの作品の着想源となったことが確認できます。

もう一度検索