直助権兵衛

直助権兵衛（なおすけ ごんべえ）

江戸時代中期に発生した凄惨な一家殺害事件の犯人であり、後世の草双紙や歌舞伎狂言において「希有の悪人」として描かれた人物。本名を直助といい、事件後に権兵衛という偽名を名乗ったことで知られています。生年は明らかになっていませんが、享保6年（1721年）に処刑されています。

凶行とその背景

直助は当時、江戸深川万年町の冬木店で開業していた医師、中島隆碩のもとで下男として働いていました。この中島隆碩という人物については、赤穂浪士の一人でありながら事件から脱盟した小山田庄左衛門と同一人物であるという説も存在します。

事件のきっかけは、享保5年（1720年）12月頃に遡ります。直助が主である中島隆碩の薬種を横領していたことが露見し、その不正が暴かれました。本来であれば、翌年の正月15日に「宿請人（やどうけにん）」と呼ばれる身元保証人によって奉行所に引き渡され、本格的な詮議を受ける予定でした。しかし、追い詰められた直助は、この詮議を逃れるため、そして金品を奪うため、前日の深夜から未明にかけての享保6年（1721年）正月16日、驚くべき凶行に及びます。

直助は、寝静まった中島隆碩とその妻を斬殺。さらに一家の者を次々と手にかけ、自宅から刀、小袖、金銭といった財産を強奪して逃走しました。これは主人に対する背信行為であることから、当時の社会では「逆罪（ぎゃくざい）」と呼ばれる最も重い罪とされました。

潜伏と逮捕

惨殺事件を起こして江戸から逃れた直助は、権兵衛と名を変え、身を隠します。そして、麹町四丁目にあった舂米屋（つきごめや、米を搗くことを生業とする店）である大和屋喜兵衛のもとで、再び下男として住み込み、潜伏生活を送っていました。

しかし、逃亡から約半年が経過した頃、思わぬところから直助の犯行が露見します。彼は、中島隆碩宅から奪った刀を質入れしていました。この質入れされた刀が、中島隆碩の所有物であることが判明し、権兵衛として潜伏していた直助こそが、あの凄惨な一家殺害事件の犯人、直助であるという疑いが浮上したのです。かくして直助、改め権兵衛は捕縛されることとなりました。

裁判と処刑

捕縛された直助権兵衛は、当時の町奉行であった中山時春のもとで厳しく吟味（取り調べ）を受けます。自らの犯行を認めた直助に対し、奉行所は当時の法に則った厳しい裁きを下しました。

享保6年（1721年）7月13日、直助は牢舎（収監）されます。そして、同月23日には江戸市中を引き回されました。これは罪状を書いた高札を掲げた馬に乗せ、罪人を市中を引き回し、人々にその罪を知らしめる見せしめの刑罰です。さらに25日までは日本橋に曝され、衆目に晒されました。当時の奉行所の罰文には、直助の罪状として「此者儀当正月十六日暁主人隆碩夫婦を切殺、其上刀竝小袖金銭を盗取欠落致候、逆罪至極之者に依て町中引廻し日本橋にて曝し候内諸人勝手次第のこ切引にいたさせ磔に行ふもの也」と記されています。

この罰文には、彼が主人夫婦を殺害し、金品を盗んで逃げた「逆罪至極」であること、そして市中引き回しと日本橋での曝しの最中に、人々が勝手に「のこ切引（のこぎりで挽く刑）」を行うことを許し、最終的に「磔（はりつけ）」にする、という内容が含まれていました。これは極めて凶悪な罪に対する、見せしめと懲戒を兼ねた苛烈な刑罰でした。

そして、享保6年（1721年）7月26日、直助権兵衛は鈴ヶ森にある御仕置場にて、この罰文の通り磔刑に処せられ、その短い、しかし凄絶な生涯を終えました。

文芸作品への影響

直助権兵衛による一家殺害事件は、江戸の町に大きな衝撃を与えました。その凶悪さと事件の劇的な経緯は、当時の人々の耳目を集め、その「希有の悪人」としてのイメージは、後の時代に創作の題材として取り上げられることになります。

例えば、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した浮世絵師、月岡芳年が描いた連作「英名二十八衆句」では、血みどろの凄惨な場面を描いた中に直助権兵衛が登場しています。また、鶴屋南北作の歌舞伎狂言『東海道四谷怪談』にも、悪人の一人として「直助権兵衛」という同名の人物が登場します。ただし、『東海道四谷怪談』に登場する直助権兵衛は、史実の直助権兵衛の事件を直接的に描いているわけではなく、その悪人としてのキャラクターイメージのみを借りた創作上の人物とされています。

このように、直助権兵衛は歴史上の犯罪者としてだけでなく、江戸時代の社会に衝撃を与え、その後の日本の文芸や演劇において「悪」の象徴の一つとして記憶され、語り継がれることとなった人物と言えるでしょう。

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