祭暦

『祭暦』（さいれき、ラテン語: Fāstī）は、古代ローマを代表する詩人、プブリウス・オウィディウス・ナソ（Publius Ovidius Naso、紀元前43年頃 - 西暦17年頃）によって著されたラテン語の長編詩です。彼の代表作の一つであり、古代ローマの祭事暦、すなわちファスティ（Fasti）を主題としています。

本作は、西暦8年に最初の版が発表され、全6巻から構成されています。それぞれの巻は、古代ローマ暦における1月から6月までの各月を担当し、その月に執り行われる主要な祭事や祝日、儀式について詳細に、かつ詩的な筆致で描写しています。例えば、1月にはヤヌス神にまつわる祭事や新年に関する習慣、2月には浄化の祭事であるファウスティニリアやルペルカリア、3月には軍神マルスや母神キュベレに関連する祭事などが取り上げられています。

『祭暦』は単に祭事のリストに留まりません。それぞれの祭事の由来や背景を説明するために、豊富な神話、ローマの歴史、民俗的な伝承、さらには天文学的な知識（特定の星の出没など、祭事暦と関連が深い）が織り交ぜられています。これにより、当時のローマの人々の生活、信仰、世界観が生き生きと描き出されており、古代ローマの文化史や宗教史を知る上で極めて貴重な資料となっています。オウィディウスは、ユーモアを交えつつも学術的な正確さを追求し、難解になりがちな主題を読みやすい詩の形式で提供しています。

作品は、古代ギリシャ・ローマの叙情詩でよく用いられるエレギア対句という形式で書かれています。これは、長六歩格と短六歩格（厳密には五歩格の後に半拍を置く形式）が交互に繰り返されるリズムを持つ詩形であり、『祭暦』における記述の明快さと優雅さに貢献しています。

しかし、この壮大な計画は、作者の人生における最大の転機によって中断されてしまいます。西暦8年、オウィディウスは突如、皇帝アウグストゥスの怒りを買い、黒海沿岸の遠隔地、コンスタンツァ（現在のルーマニア領）へと追放されました。この追放の理由は歴史家たちの間で諸説ありますが、定かではありません。この流刑により、オウィディウスはローマでの執筆環境を失い、『祭暦』の完成が不可能になったと考えられています。当初の構想では、少なくとも12巻、すなわち1年間のすべての月を網羅する予定であったと推測されていますが、現存するのは追放前に完成したとされる6巻のみです。

未完であることは惜しまれますが、『祭暦』はオウィディウスの詩人としての技術と博識ぶりを示す重要な作品です。後世の文学や歴史研究にも影響を与え、古代ローマの日常や信仰を知るための主要な情報源の一つと見なされています。追放後、オウィディウスは故郷への帰還を願いつつ、流刑地での苦悩を綴った『悲歌』（Tristia）や『ポントスからの手紙』（Epistulae ex Ponto）といった作品を残しますが、『祭暦』は彼の円熟期の知性と芸術性が結実した作品として、文学史上に確固たる地位を占めています。現存する6巻だけでも、古代ローマ世界の豊かな精神生活を垣間見せてくれる貴重な遺産と言えるでしょう。

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