稲永疑獄

稲永疑獄とは

稲永疑獄は、大正時代に名古屋で発生した遊郭移転に関する大規模な疑獄事件です。この事件は、遊郭の移転を巡る不正な土地取引疑惑が発覚し、当時の県知事や有力者を含む多数の逮捕者を出す事態となりました。

事件の概要

1911年（明治44年）、名古屋市大須にあった旭廓の移転先選定が開始されました。その際、地元の有力者であった渡辺甚吉が、当時の愛知県知事であった深野一三に稲永新田への移転を働きかけました。稲永新田は渡辺が広大な土地を所有しており、遊郭移転の実現と引き換えに、予定地を格安で譲り受ける密約を交わしたとされています。

当時、稲永新田には熱田伝馬町から移転した遊郭が既に存在しており、旭廓はさらにその外側に移転する計画でした。

事件の時系列

1912年（大正元年）
8月2日：渡辺甚吉が名古屋土地株式会社に対し、稲永新田の土地15,000坪を22万5千円で売却。この際、1坪あたり15円の割引が行われていました。契約には、名古屋土地の取締役であった兼松煕が関与しており、兼松は深野知事から受け取ったとされる「秘密地図」を基に、稲永遊郭南西の土地が遊郭として指定されると説明し、土地購入を決定させたと言われています。しかし、名古屋土地が測量した結果、実際の土地面積は契約よりも8,000坪も多い23,000坪であることが判明し、土地取引に対する不信感を抱きました。
9月23日：台風による被害で稲永新田が壊滅的な打撃を受け、名古屋土地が所有する土地の価値が暴落しました。
1913年（大正2年）
8月22日：名古屋地方裁判所検事の小幡豊治が、別件の聞き取り中に、稲永遊郭の指定に関する問題を知りました。
8月23日：小幡検事らは、稲永遊郭の土地管理を渡辺から任されていた岡田初之助親子を呼び出し、深夜に及ぶ取り調べを行いました。
8月25日：渡辺甚吉が検事局に呼び出され、3日間にわたる取り調べを受けました。同日、小幡検事は新聞各紙に対し、事件に関する記事の掲載差し止め命令を出しました。
8月28日：渡辺甚吉が詐欺罪の疑いで逮捕され、名古屋監獄に収監されました。
8月29日：判事や検事らが奥田正香邸を家宅捜索し、日誌や出納帳などを押収しました。また、同日には加藤重三郎と兼松煕も家宅捜索を受け、兼松は収監されました。
9月13日：安東敏之が収監されました。
9月14日：加藤重三郎が収監されました。
10月8日：松宮予審判事らが深野一三知事の自宅を家宅捜索しました。同時に、深野知事に対する涜職罪の起訴手続きが進められました。
10月10日：深野知事が名古屋に帰名後、名古屋地方裁判所に召喚され取り調べを受け、その後収監されました。同日、事件に関する記事掲載差し止め命令が解除されました。
11月27日：名港土地会社が、稲永新田の土地5千坪を遊郭指定地として、名古屋土地から購入していたことが報道されました。
* 11月30日：名古屋地方裁判所で公判が開始されました。傍聴希望者が多数に上り、混乱を避けるために傍聴券が配布されることになりましたが、司法関係者の傍聴希望が多かったため、一般傍聴希望者の傍聴券が不足し、裁判は公開されました。

事件の背景

明治時代中期から、市街地にある遊郭が風紀上の問題として議論されていました。1892年（明治25年）には愛知県会で遊郭移転が決定されましたが、長期間放置されていました。1909年（明治42年）には、県知事であった深野一三が、1914年までに名古屋市熱田伝馬町の貸座敷営業を廃止することを決定し、遊郭の移転が喫緊の課題となっていました。1913年（明治44年）より、旭遊郭の移転候補地の検討が開始され、1914年（明治45年）には、名古屋市中区の貸座敷営業が4年後に停止し、全て名古屋市南区稲永に移転することが通達されました。

裁判

一審

1913年（大正2年）に名古屋地方裁判所で開廷し、同年12月に結審しました。判決では、兼松煕に懲役1年6か月、加藤重三郎と安東敏之に懲役1年2か月、深野一三に懲役1年、渡辺甚吉に懲役1年執行猶予3年の判決が下されましたが、全員が控訴しました。

控訴審

名古屋控訴院で行われた控訴審では、1914年（大正3年）6月に証拠不十分として全員無罪判決が下されました。裁判の焦点は、渡辺が遊郭移転成功の報酬を約束していたか、深野がその条件で命令を下したかでしたが、決定的な証拠は見つかりませんでした。

その後

この事件は、当時の政治や社会における不正の温床を浮き彫りにし、大きな社会問題となりました。しかし、最終的には証拠不十分として無罪となったため、真相は解明されないまま終わりました。

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