築地精養軒

築地精養軒（つきじせいようけん）

はじめに
明治維新後の東京に、本格的な西洋料理の風を吹き込み、日本のフランス料理の黎明期を支えた草分け的存在が「築地精養軒」です。1870年に創業し、1923年に関東大震災で幕を閉じるまでの約半世紀、この店は単なる飲食店にとどまらず、日本の西洋文化受容の最前線基地の一つとして重要な役割を果たしました。

設立の背景と初期の歩み
江戸幕府が倒れ、新しい時代を迎えた明治初期、急速に進む国際交流の中で、来日する外国要人を満足させられる本格的な西洋料理店が東京にはほとんどありませんでした。この状況を打開すべく、1870年（明治3年）、岩倉具視の支援を得た北村重威が、皇居近くの馬場先門に「築地精養軒ホテル」の建設に着手しました。これは1872年（明治5年）に開業しました。

火災からの復旧と采女町での発展
しかし、開業直後の1872年（明治5年）2月に発生した銀座大火によって、馬場先門の精養軒は残念ながら焼失してしまいます。この大火を受け、東京府は耐火建築を奨励するなど、都市の近代化を加速させました。精養軒は翌1873年（明治6年）、京橋区采女町（現在の銀座五丁目付近）に場所を移して再建・再開業しました。この新しい建物は、建坪約200坪（約660m²）に12の客室を備えたホテル兼レストランとして、最新式の設備で、宿泊や宴会に最適と評されました。

西洋文化の発信地として
采女町の精養軒は、単に洗練された西洋料理を提供するだけでなく、西洋文化そのものを日本に紹介し広める拠点となりました。外国貴賓との交流機会が増えた日本人に対し、テーブルマナーや西洋式の生活習慣を指導することもあったといいます。また、自宅で西洋料理を楽しみたいという需要に応え、出前サービスも行っていました。当時の日本ではまだ珍しかった牛肉料理なども提供しており、多くの日本人がここで初めて本格的な西洋の味に触れたとされています。

日本料理界への貢献
精養軒は、日本の西洋料理の歴史に名を刻む多くの優れた料理人を輩出したことでも知られています。初代料理長はスイス人のカール・ヘス、二代目はC.L.ネップと外国人でしたが、三代目の戸山慎一郎以降は日本人料理長が続きました。西尾益吉、鈴本敏雄といった名シェフたちが腕を振るい、さらに戦後に日本の食文化を牽引する秋山徳蔵（後の天皇の料理番）や関塚喜平などもここで研鑽を積みました。彼らが精養軒で培った技術と精神は、日本の西洋料理の発展に不可欠なものとなりました。

事業の拡大と終焉
事業は順調に拡大し、1915年（大正4年）には東京駅丸の内駅舎内に開業した東京ステーションホテルの営業を受託するなど、その影響力は広がりを見せました。また、上野公園が開設されると同時に、本格的なフランス料理を目指す支店として「上野精養軒」も開業しました。
しかし、栄華を極めた築地精養軒にも終わりが訪れます。1923年（大正12年）に関東地方を襲った未曽有の大地震、関東大震災により、采女町の建物は残念ながら全焼してしまいました。この被災以降、精養軒の本店の役割は上野精養軒に引き継がれ、築地精養軒としての歴史は閉じられました。

当時の評価と残された足跡
当時の人々から高く評価されていた築地精養軒は、様々な活動の舞台となりました。1913年には、後の理化学研究所設立につながる高峰譲吉博士の重要な演説会と討論会がここで開催されています。また、1917年の「東京有名料理店番付」では、西の横綱に位置づけられるなど、その名声は揺るぎないものでした。
創業家である北村家の人々も、北村重威による創業から、子孫による経営への関与や事業の多角化も行われました。
築地精養軒がかつて建っていた采女町の跡地は、その後、時代を経て利用され、現在は時事通信社ビルが建っています。

結び
築地精養軒は、日本における西洋料理と西洋文化導入の礎を築いた歴史的な存在です。短い期間ではありましたが、その果たした役割と、そこから巣立っていった多くの人々は、日本の食文化、そして近代化の歩みにおいて、今なお重要な意味を持っています。

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