聖クリストフォロス (ボス)

ヒエロニムス・ボス作「聖クリストフォロス」

ヒエロニムス・ボスは、15世紀後半から16世紀初頭にかけて活躍した初期ネーデルラント絵画の巨匠です。彼の作品は、独特の幻想的で寓意的な表現が特徴で、多くの人々を魅了してきました。その中でも、「聖クリストフォロス」は、ボスの聖人画の中でも特に重要な作品の一つです。

この作品は、1490年から1500年頃に制作されたと考えられており、板に油彩で描かれています。聖クリストフォロスは、水夫、旅人、運転手などの守護聖人として知られ、イエス・キリストを担う者という意味を持ちます。ボスは、この聖人を前景に大きく描き、背景には自然の風景を配しており、彼の他の聖人画と同様の構成となっています。この作品は、ボスの作品としては珍しく複製が知られておらず、17世紀にハプスブルク家の目録に同主題の作品名が見られるものの、それがオリジナルかどうかは不明です。現在、この作品はロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館に所蔵されています。

聖クリストフォロスの物語

聖クリストフォロスの図像は、12世紀頃に東方から西ヨーロッパに伝わりました。その後、ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』によって広く知られるようになります。物語によると、クリストフォロスは巨人で、当初は強い主人を求めて国王や悪魔に仕えていました。しかし、隠修士の勧めによってキリストに仕えることを決意し、川の渡し守となります。ある日、クリストフォロスが幼子を肩に乗せて川を渡ろうとしたところ、その幼子が非常に重く感じられました。それは世界の罪の重さであり、その幼子は世界の創造主であるキリストでした。その証として、クリストフォロスの杖から花が咲いたと伝えられています。

作品の構成と特徴

ボスは、この物語を忠実に絵画化しています。アーチのある矩形の画面には、杖を持ち川を渡るクリストフォロスが大きく描かれています。幼子イエスは十字架を手に祝福を与え、杖からは若芽が出て、さらに魚が下がっているなど、伝統的な図像に基づいて描かれています。また、川辺には、クリストフォロスにキリストに仕えるよう勧めた隠修士も描かれています。しかし、ボスならではの奇妙な描写も目を引きます。

岸辺の太い木の上には、水差しのような形の家があり、出入り口には梯子がかかっています。左方では、狩人が射止めた熊を木の上に引き上げています。川向こうの要塞には、恐ろしい龍がおり、これはクリストフォロスが改宗前に仕えていた悪魔を象徴しているのかもしれません。さらに、遠くの家からは炎が上がっており、ボス独特の邪悪な世界観が垣間見えます。画面上半分に描かれた鳥瞰図的な遠景は、ボスの卓越した風景描写の技術を示すもので、同時期に活躍した風景画家ヨアヒム・パティニールの影響が見られます。

作品の解釈

この絵画には、様々な象徴的な意味が込められています。右側の木についている水差しは「大食」、クリストフォロスの杖に括り付けられた魚は「虚栄」、左の木に吊り上げられている熊は「怠惰」など、七つの大罪を暗喩していると言われています。一方、川辺にいる隠修士は禁欲的な生活を送っており、これらの対比を通じて、欲望を喚起する誘惑とそれに抗う人間の姿が描かれています。キリストを担うクリストフォロスは、誘惑に打ち勝つためのキリスト教信仰を象徴しています。赤いマントを風に煽られながら、上体を前に傾け、川を渡るクリストフォロスの姿は、キリストの重みをひしひしと感じている様子が伝わってきます。

まとめ

ヒエロニムス・ボスの「聖クリストフォロス」は、聖人の物語を基にしながらも、ボスの独特な世界観と象徴的な表現が際立つ作品です。この絵画は、単なる宗教画としてだけでなく、人間の欲望と信仰の葛藤を描いた寓意的な作品として、鑑賞者に深く考えさせる力を秘めています。その複雑で深遠な世界観は、今日においても多くの人々を魅了し続けています。

参考文献

小池寿子『謎解き ヒエロニムス・ボス』、新潮社、2015年刊行 ISBN 978-4-10-602258-6
岡部紘三『図説 ヒエロニムス・ボス 世紀末の奇想の画家』、河出書房新社、2014年刊行 ISBN 978-4-309-76215-9
ヴァルター・ボージング『ヒエロニムス・ボス 天国と地獄の間で』、TASCHEN、2007年刊行 ISBN 978-4-88783-308-1

外部リンク

ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館公式サイト、ヒエロニムス・ボス『聖クリストフォロス』 (英語)

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