藤井康男

1930年8月14日に東京都で生まれた藤井康男は、実業家、生化学者、そして文筆家として多方面で活躍した人物です。特に、家業である製薬会社「龍角散」の経営者としての顔がよく知られています。

彼は千葉大学薬学部で薬学を修めた後、大阪大学大学院理学研究科で生化学の研究を深めました。学業を終えた1955年に、家業である龍角散に入社します。生化学の知識を活かし、1960年には大阪大学より理学博士の学位を取得しました。そして1963年には龍角散の社長に就任し、経営の采配を振るうことになります。その後、1995年には会長職に就きました。

龍角散は、江戸時代中期に秋田の大曲に移り住んだ富商、藤井家によってその基が築かれたと伝えられています。この家系には、薬の製造を行った医師である藤井玄渕がおり、龍角散の製法は彼に由来するとされています。藤井康男の家系は、常陸国（現在の茨城県）の佐竹氏族に連なる藤井氏であり、佐竹氏に従って秋田に入った家系との関連が指摘されています。現社長で息子の藤井隆太氏は、秋田の藤井玄淵を初代として数えると8代目、株式会社としては5代目の社長にあたると述べています。

藤井康男の龍角散社長時代の経営について、息子の隆太氏は、著書などで率直に言及しています。彼によると、康男氏は「典型的なぼんぼん」タイプで、会社にほとんど顔を出さず、経営を古参役員に任せきりの放漫経営だったため、隆太氏が会社に入った1994年頃には龍角散は倒産寸前の危機に瀕していたと振り返っています。

龍角散の経営だけでなく、藤井康男は他の事業や社会活動にも関わりました。日本で初めて臨床試薬を扱ったヤトロン（現在のLSIメディエンス）の社長を務めるなど、多岐にわたる企業経営に携わっています。また、教育にも関心を持ち、東京都千代田区の教育委員を務めた時期もあります。

彼の人物像を語る上で欠かせないのが、その豊かな文化的な側面です。特にクラシック音楽に深く精通しており、自ら楽器を演奏し、ソリストを務める龍角散室内管弦楽団を結成するなど、音楽活動にも積極的に取り組みました。

また、文筆家としても精力的に活動しました。生化学、健康、経営、右脳活用法、音楽、対談など、その著書は非常に多岐にわたります。主な著書には、『病気と仲よくする法』、『創造型人間は音楽脳で考える』、『ひとりよがりの経営学』、『右脳人間学 いまビジネスマンに求められる頭の使い方』、『ビジネスマンのための100曲のクラシック』などがあり、その数は50冊を超えます。これらの著作を通して、彼の知的な探求心や人間性、実践的な思考に触れることができます。

彼のエピソードとしてよく知られているのが、1982年のタイガーバーム代理店交渉での一幕です。シンガポールでの交渉が難航すると見た藤井氏は、相手方に「貴社は虎、弊社は龍。虎と龍が戦えば勝負がつかないが、手を組めばどうなるでしょう」と投げかけたと伝えられています。この機知に富んだ言葉は、彼の交渉術や柔軟な発想を示すものとして語り継がれています。

藤井康男は、実業家としての手腕（息子の評は厳しいものの）、生化学者としての学識、文筆家としての表現力、そして文化人としての感性を兼ね備え、多角的に社会に貢献した人物でした。1996年11月10日にその生涯を終えました。

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