誰ぞこの子に愛の手を (岡林信康のアルバム)

誰ぞこの子に愛の手を

『誰ぞこの子に愛の手を』（たれぞこのこにあいのてを）は、日本のシンガーソングライター、岡林信康が1975年1月20日にCBS・ソニーからリリースしたスタジオ・アルバムである。同名のシングル盤も同時発売され、本作は岡林がCBS・ソニー在籍中に発表した最後のアルバムとなった。

本作の制作には、前作『金色のライオン』完成後の岡林の渡米経験が大きく影響している。かねてより敬愛していたボブ・ディランのライブを生で見るためロサンゼルスを訪れた岡林は、そこで予期せぬ衝撃を受ける。レコードで聴くディランの声やイメージから、もっと繊細なパフォーマンスを想像していた岡林だったが、実際に見たライブはザ・バンドを従えた非常にハードで力強いロックンロールだったのだ。この体験は、岡林のその後の音楽的方向性に大きな示唆を与えることとなる。現地では、フォークシンガーのジャック・エリオットの計らいにより、ディランのコンサート打ち上げパーティーに潜り込む機会を得たものの、憧れの存在を前に極度に緊張し、わずか30秒ほどの対面時間で言葉を交わすことができなかったというエピソードも残されている。

この強烈なディラン体験を経て帰国した岡林は、本作のサウンドコンセプトを固めるにあたり、プロデューサーとして引き続きタッグを組んだ松本隆に自身のイメージを伝える。「もっと重たい、激しいサウンド」「静かに歌う曲でも迫力のある音」「ボブ・ディランのアルバム『ブロンド・オン・ブロンド』のような響き」といった具体的な要望を伝えられた松本隆は、その意向を受けてアレンジを進めた。結果として、岡林がスタジオ入りする頃には、アルバムのサウンドイメージはすでに大部分が完成していたという。

レコーディングには、当時松本隆がプロデュースを手掛けていたバンド、ハックルバックのメンバーを中心に、腕利きのミュージシャンが集結した。ギタリストにはハックルバックの鈴木茂に代わって徳武弘文が参加し、その骨太なギターワークがサウンドに深みを与えている。また、キーボーディストとして矢野誠が加わり、オルガンやピアノで彩りを添えた。ベーシストの田中章弘、ドラマーの林敏明、ピアニストの佐藤博らが演奏陣を固め、岡林の歌とギターを力強く支えている。

音楽的な側面に加え、本作は岡林自身の内面を深く掘り下げた、精神性の強い作品という側面も持つ。制作当時、岡林は精神分析に強い関心を抱き、関連書籍を精力的に読み漁っていた。その中で、自身の生い立ちや過去の経験を振り返りながら、「岡林信康という人間が、どのようにして現在の姿になったのか」を自己分析する作業を進めた。岡林自身も後に、このアルバムを「自己分析のアルバム」だったと述懐しており、内省的な視点から生まれた楽曲群が収録されている。

アルバムには、全曲が岡林信康自身によって作詞・作曲された10曲が収められている。「僕の車はジェットエンジン」、「Bのブルース」、「つけもの石のブルース」といったブルースフィーリング溢れる楽曲や、「誰ぞこの子に愛の手を」のアルバムバージョンが収録されている。このタイトル曲は、シングル盤がギター弾き語りであったのに対し、本作ではバンド編成による力強い演奏で録音されている点が特筆される。その他、「Dr.パブロフ犬連れて」、「修道院のバスルーム」、「ゆがんだサングラス」など、内省的あるいは寓話的なタイトルの楽曲が並び、当時の岡林の内面的な探求を反映している。

プロデュースを松本隆が担当したほか、写真撮影を川仁忍、デザインを長友啓典が手掛け、音響面では松本裕がミキシングを担当し、HIT STUDIOでリミックスが行われた。これらのスタッフワークが、アルバムの世界観を構築する上で重要な役割を果たしている。

『誰ぞこの子に愛の手を』は、ボブ・ディラン体験から得た音楽的刺激と、自己の内面への深い探求が結びついた、岡林信康のキャリアにおいて重要な転換点を示す作品の一つと言えるだろう。CBS・ソニーでの最後のアルバムとして、その後の活動への布石ともなった。

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