負の世界遺産

負の世界遺産（ふのせかいいさん）

「負の世界遺産」とは、世界遺産の中でも特に、人類が経験した悲惨な出来事や歴史的な悲劇を現代に伝え、同様の過ちを繰り返さないための戒めとなる物件を指す際に、日本国内で非公式に用いられている用語です。これはユネスコが公式に分類しているものではなく、その明確な定義も存在しません。英語にも定訳がなく、「Legacy of Tragedy」といった訳が試みられる一方、簡潔な英訳の困難さも指摘されています。

該当物件の傾向

世界遺産に関する書籍などでは、主に登録理由の一部あるいは全てが、平和への希求や人種差別の撤廃といった人類の歴史における悲劇と深く結びついている物件が「負の世界遺産」として挙げられる傾向にあります。ただし、一つの物件が持つ要素は多岐にわたるため、ある視点では「正の遺産」として捉えられる一方で、別の視点からは「負の遺産」として位置づけられる可能性も指摘されています。例えば、「海商都市リヴァプール」は、大英帝国の繁栄を伝える物件として登録されており、一般的には負の遺産とは見なされません。しかし、その発展が黒人奴隷貿易を含む三角貿易によって築かれた側面があることから、この側面に注目して「負の遺産」と捉える見解も存在します。

いわゆる「負の世界遺産」とされる物件は、世界遺産登録基準のうち基準(6)「顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの」を含むか、あるいはこの基準のみが適用されて登録されているケースが多く見られます。しかし、独立記念館やリラ修道院、ランス・オ・メドーなども基準(6)のみで登録されていますが、これらは通常、負の世界遺産とは見なされていません。このことから、基準(6)が適用されている物件全てが直ちに負の世界遺産と言えるわけではないことがわかります。一方で、基準(6)には他の基準と組み合わせて用いることが望ましいという但し書きが付されているため、現在では基準(6)のみを理由として推薦できるのは、負の遺産に分類されうるような物件に限られるとも言われています。なお、物件の登録理由で直接強調されていなくとも、その負の側面に光を当てて「負の世界遺産」と位置づけられることがあり、その場合は基準(6)を含んでいないこともあります。

世界遺産への登録経緯

世界遺産条約に基づき登録が始まったのは、第2回世界遺産委員会が開催された1978年です。この年に初めて登録された12件の中には、後に「負の世界遺産」と呼ばれることのある「ゴレ島」が含まれていました。翌1979年には、「アウシュヴィッツ強制収容所」や西アフリカの奴隷貿易に関連する「ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群」が登録されました。特にアウシュヴィッツの登録に際しては、今後、類似する物件の登録を制限する旨の付帯決議がなされました。

1980年の第4回世界遺産委員会では、基準(6)のみでの登録の妥当性が議論されました。その後、基準(6)単独で登録された物件は、負の遺産とは位置づけられていない「ヘッド-スマッシュト-イン・バッファロー・ジャンプ」（1981年）、「リラ修道院」（1981年）、「プエルトリコのラ・フォルタレサとサンフアン国定史跡」（1983年）の3件を最後に、一時的に途絶えることになります。

次に基準(6)のみで登録されたのは、1996年の原爆ドームでした。この登録を巡っては委員会内で紛糾があり、一部の国からは戦争遺跡の登録に対する懸念が示されました。最終的な決議は、原爆ドームを平和希求の象徴として評価したものであり、基準適用においても「戦争」との直接的な関連は強調されていませんでした。この出来事を境に、基準(6)は他の基準との併用が原則とされる条件が付加されました。しかし、この条件は1999年のロベン島の登録において早速課題となります。事前審査を行ったICOMOSは基準(6)の価値を認めたものの、同時に提案されていた基準(3)については否定的な評価でした。ICOMOSは基準(3)のご都合主義的な適用に難色を示しましたが、委員会の審議では基準(3)も適用することで決着しました。その後、基準(6)の但し書きの表現は若干緩和されましたが、ロベン島以降で基準(6)のみによって登録された物件は、ボスニア・ヘルツェゴビナの「モスタル旧市街の古い橋の地区」やモーリシャスの「アープラヴァシ・ガート」など、少数にとどまっています。これらは、しばしば負の遺産に分類される物件です。

用語の意義

「負の世界遺産」には明確な定義がないため、この用語の使用に否定的な見解を示す専門家もいます。しかしその一方で、特に教育現場などにおいては、人類の悲惨な歴史を学ぶ上で一定の意義を持つ用語であるとの指摘もあります。実際に、過去には私立中学校の入試問題でこの用語に関する設問が出題された事例もあります。

何をもって負の世界遺産と見なすかは論者によって異なりますが、世界遺産関連の文献では、悲惨な歴史や負の教訓を含む物件がこれに類するものとして挙げられることが一般的です。

関連するテーマとして、奴隷貿易、ジェノサイド、核兵器などが挙げられ、悲劇の現場を訪れるダークツーリズムとも関連が関連付けられることがあります。

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