貿易促進権限

貿易促進権限（TPA）とは

貿易促進権限（Trade Promotion Authority: TPA）は、アメリカ合衆国における通商交渉に関する大統領の権限であり、かつてはファスト・トラック権限と呼ばれていました。これは、大統領が議会にあらかじめ通告することなどを条件に、一定期間に限り、外国と締結した通商協定を、議会が迅速に承認するための手続きを定めるものです。

ファスト・トラック手続き

ファスト・トラック手続きによる実施法案の議決は、以下の流れで行われます。

1. 議会への事前通告: 大統領は、通商協定に署名する日の90暦日以上前に、その意図を上下両院に通告し、官報に告示します。
2. 協定内容の送付: 協定署名後、大統領は最終協定および実施法案を上下両院に送付します。送付された法案は、両院の多数党院内総務によって提出されます。
3. 委員会での協議: 当該協定は、交渉前に上院財政委員会および下院歳入委員会に書面で通告され、協議されます。
4. 修正禁止と迅速な採決: 議会は実施法案を修正できず、法案提出から90日以内に採決を行う必要があります。歳入に関する条項が含まれる場合、下院で先に議決されます。
5. 上院での手続き: 上院は、下院から法案が送付されるまで、上院に提出された実施法案を審議し、下院からの法案に基づいて最終表決を行います。

協定の署名期限と意図の通知期限は法律で規定されていますが、実施法案の提出期限は規定されていません。過去の例では、NAFTAやウルグアイ・ラウンドの実施法案が、協定発効日の90日を切った段階で提出されています。

議会の関与

貿易促進権限に基づいて交渉・妥結された通商協定の実施法案は、行政府が作成し、短期間の審議で修正なしに採決されるため、行政府に有利であると考えられがちです。しかし、1974年通商法の立案段階から、議会も積極的に関与する仕組みが模索されました。

ノン・マークアップ

通常の法案審議では、委員会が法案を検討し、修正意見を追加する「マークアップ」と呼ばれる会合が開かれます。ファスト・トラック手続きでは、これに準じた90日間の協議が行われますが、法案が正式に提出されないため、「ノン・マークアップ」と呼ばれます。また、議会のマークアップが公開されるのに対し、ノン・マークアップは非公開で行われます。

議会スタッフによる法案作成

上院財政委員会と下院歳入委員会は、行政府や通商交渉担当者と協議を重ね、法案に盛り込まれるべき条項について交渉します。議会側は、国内法の作成を議会の法律スタッフが行うよう主張し、行政府側もこれを了承せざるを得ませんでした。

ノン・コンファレンス

上院と下院で可決された法案に相違がある場合、両院協議会（コンファレンス）が開かれますが、実施法案に関して財政委員会と歳入委員会の間で意見の相違がある場合、「ノン・コンファレンス」と呼ばれる会合が開かれました。この会合には、行政府の代表も参加しました。

このような議会の非公式な手続きを経て作成された法案は、ほぼそのまま行政府案として議会に送付されます。ただし、行政府も議会の非公式手続きに深く関与しており、上下両院の意見が一致しない場合は、行政府の判断で法案が作成されることもあります。

貿易促進権限の性格

アメリカ合衆国憲法第1条第8節第3号は、連邦議会が外国との通商を規制する権限を持つと規定しています。そのため、通常は対外交渉を行う大統領であっても、議会から特別な委任がない限り、米国の通商規定に影響を及ぼす交渉を行うことはできません。

憲法上の解釈

日本では、「大統領は議会が権限を付与して初めて通商交渉を行うことができ、1934年まで米政府は通商交渉・協定締結などの権限を持っていなかった」という論証が広く行われてきました。しかし、アメリカ合衆国憲法第1条第8節第3号は、連邦と州の関係において対外通商権限が連邦に属することを規定するものであり、議会と大統領の権限分掌の根拠を示すものではありません。

したがって、通商条項は、議会から大統領への通商交渉権限の委譲の根拠となると理解するのは妥当ではありません。むしろ、貿易促進権限は、アメリカ合衆国の政治状況（大統領と議会を支配する政党が一致しないことが多いなど）に合わせて、通商合意を円滑に実施するためのものと解釈できます。

貿易促進権限失効後の協定

実際に、貿易促進権限が失効している際に交渉され合意された米ヨルダン自由貿易協定は、議会が実施法案を可決することで承認されています。この協定は、通商問題というよりも中東情勢をめぐる政治的な側面が強く、議会の事前の支持があったとはいえ、法的には貿易促進権限なしに貿易協定を締結し、事後に議会の承認を得ることが可能であることを示しています。

ただし、超党派の支持が期待できない場合は、貿易促進権限なしに議会の承認を得ることは困難であるという政治的な問題も存在します。法的には通商協定の締結に貿易促進権限は必須ではありませんが、GATT/WTOのラウンドや主要国とのEPA締結においては、事前に貿易促進権限がないと著しく困難であることに変わりはありません。

歴史的経緯

アメリカ合衆国建国から1930年関税法までの間、関税の変更は議会が主導し、大統領の役割は議会の立法に対する拒否権の行使に限られていました。しかし、19世紀末から散発的に、大統領に他国との関税協定締結を通じた交渉の権限が付与されるようになりました。

関税引き下げ権限の付与

1934年互恵通商協定法の成立により、議会は大統領に対し、一定の授権期間に限り関税設定の権限を委譲し、関税は大統領による他国との二国間交渉によって決定されるようになりました。これにより、アメリカの関税は議会ではなく大統領（行政府）によって、他国と互恵的に調整されるようになり、関税率を包括的に改正する法律は、1930年関税法を最後に制定されることはなくなりました。

貿易促進権限の導入

1973年に東京ラウンドが開始されると、非関税障壁の削減が重視されるようになり、新たに非関税障壁の削減交渉においても、関税交渉と同様の権限を大統領に与える方法が検討されました。こうして、1974年通商法に貿易促進権限が盛り込まれ、1979年通商協定法の法案審議で初めて適用されました。

近年の動き

2002年には、2002年超党派貿易促進権限法が成立し、政府は約10年ぶりに貿易促進権限を得ました。その後も、環太平洋戦略的経済連携協定（TPP）や米国・メキシコ・カナダ協定（USMCA）などの交渉において、貿易促進権限が活用されています。

2015年の貿易促進権限は、2021年6月30日に失効しましたが、今後のアメリカの通商政策において、貿易促進権限が再び注目される可能性もあります。

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