隠された手

隠された手：肖像画に秘められた意味

「隠された手」（hidden hand）とは、18世紀以降の肖像画で頻繁に見られる、片手を衣服の中に隠すポーズのことです。このジェスチャーは、単なる偶然のポーズではなく、描かれる人物の落ち着き、揺るぎなさ、そしてリーダーとしての威厳を象徴する意図的な表現とされています。

特に、フランスの皇帝ナポレオン・ボナパルトの肖像画でこのポーズが多用されたことから、このジェスチャーはナポレオンの代名詞ともなっています。ジャック＝ルイ・ダヴィッドによるナポレオンの肖像画群を思い浮かべると、このポーズがその人物像を特徴づける重要な要素であることが理解できます。

歴史的背景

このポーズの起源は、古代ギリシアにまで遡ることができます。アテナイの政治家アイスキネスは、演説中に手を衣服の外に出すことは行儀が悪いと述べています。また、18世紀初頭の宗教家ジャン＝バティスト・ド・ラ・サールは、著書の中で「腕を組んだり、背中の後ろで腕を絡ませたり、だらりと下げたりするのは避けるべき」とし、杖や手袋がない場合には、ジャケットの開口部に手を入れ、胸や胃のあたりに置くのが適切であると述べています。これらの記述から、手を隠す行為は、当時から一定のマナーや作法として認識されていたことがわかります。

18世紀のイギリスでは、このポーズは肖像画のモデルが上流階級であることを示すために用いられました。「紳士の所作」に関する指南書には、このポーズが「謙虚さを内に秘めた男らしい大胆さ」を表現するものであると記されています。つまり、「隠された手」は、単に手を隠すだけでなく、内面の自信と品格を象徴するジェスチャーとして捉えられていたのです。

技術的な側面と心理的解釈

また、初期の写真撮影において、長時間露光が必要であったため、手を動かさずに固定するのにこのポーズが役立ったという側面もあります。手を衣服に隠すことで、撮影中に手が動いてしまうのを防ぎ、より鮮明な写真を撮ることが可能になったのです。

一方で、心理学的な観点から見ると、手をポケットや衣服に隠す行為は、時に拒絶や警戒心を表すポーズとして解釈されることもあります。この解釈は、肖像画における「隠された手」の意図とは異なるものの、人間の心理状態と身体の動きとの関係性を示す興味深い視点を提供しています。

日本における「隠された手」

日本では、幕末期に撮影された写真において、このポーズがしばしば見られます。これは、手が写真に写ると大きく見えたり、手に良くないことが起こるといった俗信が背景にあったという説があります。当時の人々は、写真技術に対する理解が十分でなかったため、このような迷信が広まったと考えられます。

まとめ

「隠された手」は、単なるポーズではなく、歴史的な背景、社会的な意味合い、技術的な理由、そして心理的な解釈が複雑に絡み合った、非常に興味深いジェスチャーです。肖像画に描かれた人物の内面を読み解く上で、このポーズは重要な手がかりとなります。次に見る肖像画では、この「隠された手」に注目し、その意味を深く探ってみてください。

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