シッコ

映画『シッコ』

2007年に公開されたドキュメンタリー映画『シッコ』（SiCKO）は、社会派ドキュメンタリーで知られるマイケル・ムーア監督が、アメリカ合衆国の医療制度が抱える深刻な問題をテーマに制作しました。「シッコ」というタイトルは、「狂人」や「変人」を意味するスラングであり、「病気」を意味する「sick」と掛け合わせたものです。本作では、医療保険制度の不備が引き起こす様々な悲劇を、ウェブサイトで寄せられた一般市民の実体験をもとに、時にはシュールコメディーを交えながら描いています。

ムーア監督の一貫したスタンスは、「なぜ、他の先進国では当たり前の医療制度が、世界一の経済大国であるアメリカでは実現できないのか」という問いを投げかけることです。彼は、医療保険に加入できない人々だけでなく、保険に加入しているにもかかわらず十分な医療を受けられない現実を浮き彫りにします。

アメリカ医療制度の現実

映画が指摘するアメリカの医療制度の根深い問題は多岐にわたります。まず、国民の約5,000万人が医療保険を持っていません。これは、経済的な理由だけでなく、過去のわずかな病歴などを理由に保険会社への加入や保険金の支払いを拒否されるケースが多いためです。民間医療保険会社は営利を最優先するため、あらゆる手段を使って保険金の支払いを渋り、利益を追求します。そして、こうした保険会社や製薬会社は政治家と強く結びつき、医療制度改革を阻んでいる構造が描かれています。

かつて、ファーストレディだったヒラリー・クリントン議員が公的な皆保険制度の導入を目指しましたが、議会の反対によって実現に至りませんでした。この背景には、医療・保険業界からの多額の献金を受け取った勢力の影響があったと映画は示唆しています。さらに、ニクソン大統領時代の盗聴テープまで持ち出し、医療保険制度が利益を生む仕組みとして捉えられていた歴史を暴きます。

衝撃的な実話の数々

映画では、アメリカの医療制度の犠牲となった人々の具体的なエピソードが紹介されます。例えば、

医療費が払えず、自分で傷口を縫うしかなかった人。
仕事で指を2本切断し、手術費用が指によって異様に高額だったため、片方の指を諦めざるを得なかった人。
高額な医療費のために家を売却し、子供たちの家に身を寄せる老婦人。
救急車を利用した際、意識不明だったにもかかわらず「事前に連絡がなかった」として保険適用を拒否された人。
* 医師が必要と判断した治療や検査を保険会社が認めず、結果的に命を落としたケース。

これらの話は、単なる個人的な不幸ではなく、制度そのものが抱える欠陥が引き起こす悲劇であることを強調しています。また、9.11の救助活動に従事し、健康を損なったボランティアが十分な医療支援を受けられない一方で、キューバで手厚い医療を受けるテロ容疑者との対比を描くことで、アメリカ国内の医療格差と不条理を浮き彫りにします。

他国との比較と議論

ムーア監督は、イギリス、フランス、カナダ、そしてキューバといった国々の医療制度を取材し、アメリカとの比較を行います。これらの国々では、国民皆保険制度が整備されており、多くの医療サービスが自己負担なし、あるいは極めて低額で提供されている様子が描かれます。カナダ在住のムーアの親戚が、旅行に必ず保険をかけるほど危機意識が高いことと、アメリカ国民が皆保険制度を「社会主義」と忌避し、政治に無関心な姿勢であることを対比させ、国民性の違いにも言及しています。

ただし、映画で描かれる他国の医療制度やキューバの描写については、完全に無料ではないケースがあることや、キューバの平均寿命や死亡率が高所得国に比べて劣る点など、一部に反論や批判も存在します。ガーディアン紙によるキューバでの公開状況に関する当初の誤報とその後の訂正騒動も発生しました。

公開後の反響

本作は2007年のカンヌ国際映画祭で特別招待上映され、大きな注目を集めました。アメリカでの公開時には、ドキュメンタリー映画として史上第2位の動員数を記録し、同時期の人気アクション映画を上回るほどの反響を呼びました。これは、多くの国民が医療問題に関心を寄せている証拠と言えるでしょう。一方で、日本では「テロより怖い、医療問題」というキャッチコピーで公開されましたが、海外ほどの大きな反響は得られず、マスコミでの報道も限定的でした。

『シッコ』は、アメリカの医療制度の暗部を赤裸々に描き出し、議論を巻き起こした作品です。その衝撃的な内容は、医療が単なるサービスではなく、基本的人権に関わる問題であることを改めて世界に問いかけました。

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