ハンサー

アル＝ハンサー：砂漠の悲歌と復讐の詩

アル＝ハンサー（575年～646年）は、イスラム以前のアラビア半島で活躍した、傑出した女性詩人です。本名はトゥマーディル・ビント・アムル。ムダル族に生まれ、詩人の家系に育ちました。彼女の美貌と鷲のように曲がった鼻は有名で、「ハンサー」（鷲鼻の女）というあだ名で広く知られました。

ジャーヒリーヤ時代の詩人たち

アル＝ハンサーが活躍した時代は、イスラム教が生まれる以前のジャーヒリーヤ時代です。この時代、アラビア半島北部では、部族間の争いや略奪が絶えず、過酷な砂漠環境の中で暮らすベドウィンたちは、価値観の変容を迫られました。その中で、多くの詩人が生まれ、詩は社会生活に深く根付いていました。アル＝ハンサーも、恋人や娘もまた詩人であった環境の中で詩作を始めます。

悲歌の巨匠

アル＝ハンサーは、当初抒情詩を詠んでいましたが、二人の兄、ムアーウィヤとサフルを紛争で失ったことをきっかけに、悲歌（リサー）と呼ばれる、死を悼む詩を詠むようになります。彼女は、兄の死を嘆き悲しみつつ、同時に復讐を誓う激しい詩を創作しました。この悲歌は、アル＝ハンサーの代表作となり、彼女の詩人としての名声を不動のものとしました。

詩の対決とウカーズの市場

当時、ベドウィン社会では、詩は単なる表現手段ではなく、部族間の争いや交渉において重要な役割を果たしていました。詩による誹謗中傷や応酬は、戦いと同様に重要な行為であり、市場では詩の腕を競う対決が盛んに行われていました。メッカ郊外のウカーズ市場は、こうした詩の対決の有名な舞台であり、アル＝ハンサーもこの市場で詩の対決に参加し、勝利を収めた記録が残されています。

イスラムと女性文学

イスラム教の普及に伴い、ジャーヒリーヤ時代の風習は次第に衰え、女性が社会の表舞台に立つ機会は減少しました。それに伴い、女性による文学作品の記録も少なくなっていきました。しかし、アル＝ハンサーの作品は、後の時代にも受け継がれ、アブー・タンマーム編纂の『武勇詩集』にも収録されています。

西洋における評価

イスラム学者グスタフ・E・フォン・グルーネバウムは、西洋で初めて紹介されたアラビアの詩人の一人としてアル＝ハンサーを取り上げています。また、アル＝ハンサーの死生観は、現代のパレスチナの詩人ジャユースィーやファドワ・トゥカーンにも通じるものがあると指摘されています。アル＝ハンサーの作品は、現代に至るまで、多くの読者に感動を与え、その表現力と深い情感は高く評価され続けています。彼女の詩は、過酷な環境と悲しみの中で生まれた力強い声であり、アラビア文学史に燦然と輝く一星です。彼女の生きた時代や、女性としての立場、そしてその境遇を反映した彼女の作品は、現代においても多くの示唆を与えてくれるでしょう。

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