存在と時間

『存在と時間』：ハイデッガーの哲学的探求

1927年に発表されたマルティン・ハイデッガーの主著『存在と時間』（Sein und Zeit）は、20世紀哲学に計り知れない影響を与えた、極めて重要な著作です。しかし、本書は当初の計画の約3分の1しか完成しておらず、未完成のまま世に出されました。本書の目的は、アリストテレス以来の哲学的問い、「存在とは何か？」を新たに解き明かすことにありました。ハイデッガーは、現象学と解釈学の方法を用いて、この難問に挑みました。

成立過程と未完成の謎

『存在と時間』は、ハイデッガーが師事したフッサールの編集する『哲学および現象学研究のための年報』に掲載されました。献辞はフッサールに捧げられていましたが、ナチス政権下では削除されています。

本書は大きく二部構成で、第一部は「現存在の解釈と時間の解明」、第二部は「存在論の歴史の現象学的解体」を予定していましたが、実際に書かれたのは第一部のうち「現存在の基礎分析」と「現存在と時間性」の部分のみです。

未完成の理由は長らく謎でしたが、1989年に発見された「ナトルプ報告」と呼ばれる初期草稿によって、本書がアリストテレス解釈を通じた西洋哲学史全体の再検討を企図した大規模なプロジェクトの一部であったことが明らかになりました。刊行された部分は、その序論に過ぎなかったのです。ハイデッガー自身も1953年に後半部の執筆を断念し、序論に記されていた「上巻」の表記を削除しています。

本書の構成と内容

本書は、献辞、序に代えて、巻頭言、序論、そして第一部から構成されています。序論では「存在の問い」の必然性や構造、そして現象学的方法が論じられています。

第一部では、ハイデッガー独自の概念である「現存在」（Da-sein）が分析されます。「現存在」とは、存在そのものを問い、その意味を解明しようとする存在者、つまり人間のことです。「世界内存在」「共同存在」「関心（ゾルゲ）」といった概念を通して、人間の存在様式が深く掘り下げられています。特に「時間性」は重要な概念で、ハイデッガーは従来の時間概念を批判し、人間の存在を規定する根源的な時間性を提示しています。

特に重要な概念を以下にまとめます。

現存在 (Da-sein): 存在そのものを問い、存在の意味を自らに問いかける存在者としての存在。人間を指す。
世界内存在 (In-der-Welt-sein): 世界の中に投げ込まれた存在としてのあり方。世界と切り離せない人間の存在様式。
共同存在 (Mitsein): 他者との共同体における存在のあり方。他者との関係の中で成り立つ人間の存在。
関心 (Sorge): 現存在を規定する根源的な存在様式。不安や可能性への向き合いを含む。
時間性 (Zeitlichkeit): 過去・現在・未来を包含する、人間の存在を規定する根源的な時間構造。
死への存在 (Sein-zum-Tode): 死を自覚することで初めて、現存在は自分の存在を真に自覚する。
* 解釈学: テキストや現象を解釈することを重視した方法論。ハイデッガーは、存在への問いを解釈学的に解明しようとした。

方法論としての現象学

ハイデッガーは、存在論の歴史を解体（Destruktion）するという方法をとりました。これは、既存の哲学的伝統を批判的に吟味し、存在についての根源的な経験を明らかにしようとするものです。その方法論として、フッサールの現象学を土台としながらも、解釈学的な要素を強く取り入れています。これは、ハイデッガーの方法論が「解釈学的現象学」と呼ばれる所以です。

ハイデッガーの後の哲学への影響

『存在と時間』は未完成ながらも、実存主義、構造主義、ポスト[[構造主義]]など、後の哲学に多大な影響を与えました。その解釈学的現象学的方法論は、ジャック・デリダの脱構築にも大きな影響を与えました。

結論

『存在と時間』は、未完成という点において、その解釈が困難な点においても、哲学史における重要な位置を占めています。本書は、存在の意味を問い続けるハイデッガーの哲学への入り口であり、20世紀以降の哲学を理解する上で欠かせない一冊と言えるでしょう。

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