無明逆流れ

無明逆流れ（むみょうさかながれ）

南條範夫が1957年に発表した時代小説であり、短編連作集『駿河城御前試合』（徳間書店刊）に収録されている一篇である。この作品は、後に、とみ新蔵によって劇画化（1967年発表）され、また山口貴由の描く人気劇画『シグルイ』とも原作を同じくする。

あらすじ

物語の舞台は寛永6年。後に「寛永御前試合」として歴史に名を残すことになる、十一組の真剣試合が駿府城で執り行われた。中でも、第一試合は特に壮絶を極めたと伝えられている。

試合場に現れた二人の対戦者を目の当たりにした観衆からは、驚きの声が上がった。東方の幕から現れたのは、端麗な容姿とは裏腹に両目を失明した男（伊良子清玄）。対する西方の幕からは、左腕を根元から失った男（藤木源之助）が現れたのだ。隻腕の男の眼には、ただならぬ殺意と憎悪が宿っていたという。

原作・『シグルイ』との違い

本作は、約210ページという比較的短い作品であり、大胆な脚色を経て長編化された『シグルイ』と比較すると、南條範夫による原作短編に近い内容を保っている。しかし、『シグルイ』とも同じ原作から派生しながら、本作独自に掘り下げられた描写や追加されたエピソードが存在する。

いくとの関係性

まず、『シグルイ』や原作には見られない本作独自のエピソードとして、伊良子清玄といくが互いに惹かれ合うに至る経緯が詳細に描かれている点が挙げられる。いくが暴漢に襲われそうになったところを清玄が救ったことから二人は心を通わせるようになり、虎眼に隠れて逢瀬を重ねていたといった背景が描き加えられている。また、清玄が盲目となり、かつて追放された虎眼流道場へ討ち入りを決意するまでの流れも異なる。『シグルイ』では、いくと清玄が共に飛騨の山奥に身を隠し再起を目指すのに対し、本作では清玄が道場を追われた後、失意のうちに各地をさまよっていたところをいくが探し出し、彼に再起を促すという展開になっている。二人が同棲を始めてからは、いくが仕立ての仕事で生計を立てていたことも示唆されている。

清玄の人物像

本作における清玄は、『シグルイ』で見られるような人間離れした怪異めいた人物像とは異なり、より人間的な感情を持った人物として描かれている。例えば、理不尽な理由で殺された按摩の弔いのために山賊を倒すといった正義感を示すエピソードが追加されているほか、いくに対する純粋な感謝や愛情といった心の動きが描写されている。

黒伏甚内の存在

特に、原作や『シグルイ』にはない本作の重要な要素として挙げられるのが、元山賊頭・黒伏甚内の存在である。前述の按摩の弔いの際に清玄によって両腕を切られ不具とされた黒伏は、清玄への復讐を胸に抱き、その命を狙う人物として登場する。彼は、『シグルイ』には存在しない徳川忠長の馬が暴走するエピソードで、その裏で彼が暗躍していたことが明らかになるなど、物語において重要な役割を果たす存在となっている。さらに、彼は藤木源之助に対し、伊良子打倒のための重要な示唆を与える場面も描かれている。

藤木と三重の関係

藤木源之助と三重の関係性も、原作に対してより深く掘り下げて描かれている。本作の藤木は、三重への夜這いを試みるなど、『シグルイ』（贈り物を届けに行っただけとされる）と比較して、より情熱的な人物像が描かれている。

剣技披露の場面

後続の『シグルイ』に影響を与えたと思われるエピソードも存在する。駿府城家老・三枝（『シグルイ』では掛川藩目付・柳沢頼母に相当する）へ伊良子への仇討ちを申請に行った際、藤木がその剣技を披露する場面がある。本作では、正座の姿勢から一気に跳躍し、宙で一回転しつつ屋敷の天井の桟（横木）を剣で切り取り、再び正座の姿勢で着地するという技を見せる。これは『シグルイ』では、桟ではなく背後に控える人物を斬る描写へと変化しており、南條範夫の原作短編にはこうした描写自体が存在しない。

省略されたエピソードと結末

なお、南條範夫の原作短編集『駿河城御前試合』に含まれる「剣士凡て斃る」の一篇は本作には存在しないため、小村や笹原との因縁や対決といったエピソードは描かれていない。物語は、黒伏甚内との二人きりの会話の後、藤木がその場を立ち去っていく場面で幕が閉じられる。

このように、『無明逆流れ』は原作の世界観を踏まえつつも、人間ドラマやキャラクターの掘り下げ、そして独自の展開を加えることで、一つの独立した作品としての魅力を放っている。

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