おかあさんの被爆ピアノ

2020年8月8日に公開された日本映画『おかあさんの被爆ピアノ』は、広島に投下された原子爆弾によって傷つきながらも奇跡的に残されたピアノ、通称「被爆ピアノ」にまつわる実話を基に、過去と現在、そして世代を超えた人々の繋がりを描いた感動作です。五藤利弘が監督・脚本を手がけ、主演を佐野史郎と武藤十夢（AKB48）が務めました。

この映画の核となるのは、1945年8月6日の原爆投下により爆心地から3キロメートル以内で被爆したピアノです。爆撃の熱線や爆風、そしてその後の混乱を生き延びたこれらのピアノは、「被爆ピアノ」と呼ばれ、広島の悲劇を今に伝える貴重な証となっています。作品は、そんな被爆ピアノを一つ一つ丁寧に修理し、調律を施して、その音色を全国各地に届ける活動を続ける実在の調律師をモデルにしています。彼の活動は、単に楽器を修復することに留まらず、失われた命への追悼、平和への祈り、そして被爆の記憶を風化させないための重要な試みです。

物語は、被爆二世である調律師・矢川光則（佐野史郎）の姿を中心に展開します。彼は持ち主から託された複数の被爆ピアノを自身の工房で蘇らせ、一台を特製の4トントラックに載せて全国を巡り、コンサートなどを通じて被爆ピアノの存在と広島の現実を伝え続けています。

一方、東京で育った女子大学生の江口菜々子（武藤十夢）は、将来の夢である幼稚園教諭への道に進むべきか迷いを抱えています。ある日、彼女は自身の母親である久美子（森口瑤子）が、かつて被爆ピアノの一台を矢川に寄贈していたことを知ります。被爆ピアノのコンサート会場で矢川と出会った菜々子は、彼の話や被爆ピアノの音色に触れるうちに、これまで遠い存在だった広島や被爆という出来事に少しずつ向き合い始めます。

矢川との出会いをきっかけに、菜々子は被爆ピアノだけでなく、自身の家族の歴史、特に広島で被爆した祖母・千恵子（小池澄子／回想：南壽あさ子）と、故郷を離れて東京で暮らす母・久美子の過去について深く考えるようになります。なぜ母は広島を出たのか？ 祖母が菜々子に伝えたかったことは何だったのか？ そして、矢川がなぜこれほどまでに被爆ピアノの活動に情熱を注ぐのか？ これらの問いを胸に、菜々子は自身のルーツを辿り、被爆ピアノが紡ぐ人々の物語に触れていきます。

被爆ピアノの存在は、菜々子にとって過去と現在、そして自身と家族、さらには広島という街との繋がりを見つめ直すきっかけとなります。映画は、被爆によって全てを失ったかに見えた場所にも希望の音色が響き続けること、そしてその音色が世代を超えて記憶やメッセージを伝えていく力を持つことを描いています。菜々子が自身のルーツを辿る過程で、彼女は単なる過去の出来事としてではなく、今も生きる人々の心に響く平和の尊さや命の重さを感じ取っていくのです。

主演の佐野史郎が被爆ピアノに人生を捧げる調律師を、武藤十夢が被爆ピアノとの出会いを機に成長する女子大生を演じ、それぞれ繊細な演技を見せています。また、森口瑤子が菜々子の母役を演じるほか、宮川一朗太、南壽あさ子、小池澄子らが出演しています。監督・脚本は五藤利弘、音楽は谷川賢作が担当し、主題歌は南壽あさ子による「時の環」です。本作は、第38回日本映画復興賞奨励賞を受賞し、そのメッセージ性と芸術性が高く評価されました。

『おかあさんの被爆ピアノ』は、一台のピアノが持つ計り知れない物語を通して、戦争の悲惨さ、平和の尊さ、そして人々の心に宿る希望を描き出した、見る者の心に深く響く作品です。

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