この人を見よ (ティツィアーノ、ウィーン)

ティツィアーノ『この人を見よ』

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ（Tiziano Vecellio）が1543年に描いた油彩画『この人を見よ』（Ecce Homo）は、新約聖書の福音書に記された場面を題材としています。この作品は、画家の宗教画の中でも特に重要な位置を占め、そのドラマチックな構成と人物描写で観る者を惹きつけます。

作品の背景

この絵画は、ヴェネツィア在住の裕福な商人ジョヴァンニ・ダンナ（Giovanni d'Anna）の依頼により制作されました。ダンナは、ティツィアーノの噂話の相手でもあったとされています。当時イタリアでは珍しかった「この人を見よ」という主題は、ダンナがネーデルラント出身であったことに由来すると考えられています。

作品の変遷

作品は、ダンナ家が所有した後、様々な人物の手に渡りました。16世紀にはフランス王アンリ4世が購入を試みましたが実現せず、17世紀にはイギリスのヘンリー・ウォットン卿、初代バッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズが所有しました。その後、清教徒革命中にイギリスを離れ、1648年に競売にかけられ、オーストリアのレオポルト・ヴィルヘルム大公が神聖ローマ皇帝フェルディナント3世のために購入しました。最終的に、1723年にウィーンに移され、現在に至ります。

作品の詳細

描かれている場面は、福音書の中で、ピラトが捕らえられたイエスを群衆の前に引き出し、「見よ、この人だ」と示した場面です。ピラトはイエスを解放しようとしましたが、群衆は「十字架につけよ」と叫びました。絵画の中心には、疲弊し、上半身裸のイエスが立っており、ピラトが彼を群衆に示しています。階段の下には、兵士や群衆がひしめき、それぞれの人物が特徴的に描かれています。画面左下には、興奮している少年や背中を見せる兵士が配置され、観る者の視線をイエスへと導く構図となっています。階段下の群衆は、イエスを指さし、腕を上げ、騒々しい雰囲気を伝えます。しかし、その中にあって、白い服をまとい、スポットライトを浴びている金髪の少女と少年が、静けさを醸し出しています。

作品の構図と人物

ティツィアーノは、奥行きを強調する遠近法と、V字型に人物を配置する構図を用いることで、場面にダイナミズムを与えています。人物の身振りや視線の交錯、槍や旗竿などの要素が、群衆の興奮を効果的に表現しています。ヴァルター・グロナウによれば、ピラトの顔は、ティツィアーノの友人ピエトロ・アレティーノに似ているとされています。右端の騎乗の人物は、カール5世のミラノ総督アルフォンソ・ダヴァロス、その横にはオスマン帝国のスレイマン2世が描かれています。また、白い服の少女は、ティツィアーノの娘ラヴィニアであるという説もあります。

作品の政治的背景

この作品は、当時の政治的状況を反映しており、依頼主であるアンナ家、ハプスブルク家、ヴェネツィア共和国政府、オスマン帝国、ミラノ総督、政治的仲介者ピエトロ・アレティーノといった、当時の有力者たちが、物語の中に組み込まれています。階段下の紙片には「TITIANV/S/EQVES/CES/F/1543」（皇帝の騎士ティツィアーノ作）と記されており、ティツィアーノと皇帝の関係も示唆されています。

まとめ

ティツィアーノの『この人を見よ』は、その卓越した技術とドラマチックな表現によって、キリストの受難の場面を鮮やかに描き出しています。物語性、構図、人物描写など、あらゆる面で画家の力量が発揮された作品であり、彼の代表作の一つとして、美術史にその名を刻んでいます。

この作品は現在、ウィーン美術史美術館に所蔵されており、世界中の美術愛好家を魅了し続けています。

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