アイルランド来寇の書

アイルランド来寇の書（Lebor Gabála Érenn）

『アイルランド来寇の書』は、天地創造から中世に至るアイルランドの歴史と、アイルランド人の起源を物語る古アイルランド語の文献群です。散文と韻文で構成され、複数の版が存在しますが、最も古いものは11世紀に編纂されました。この書は、アイルランドが6つの民族によって6度の入植（または征服）を受けたとする物語を伝えています。

内容の概要

1. ケサルの民: ノアの娘ケサルに率いられた最初の人々。大洪水から逃れるためにアイルランドに到達しますが、洪水によって滅ぼされます。
2. パルサローンの民: ノアの孫マゴグの子孫であるパルサローンに率いられた人々。農業や畜産を導入しますが、疫病で滅亡します。
3. ネヴェズの民: 同じくマゴグの子孫であるネヴェズに率いられた人々。フォヴォーラ族との戦いを繰り広げますが、敗れて離散します。
4. フィル・ヴォルグ: ギリシアで奴隷となっていた人々。アイルランドに戻り、島を5つの地域に分割して統治します。
5. ダヌ神族: 超自然的な力を持つ神々の一族。フィル・ヴォルグを破り、アイルランドを支配します。彼らはアイルランドの古い神々であるとされています。
6. ミールの民: イベリアから来たゲール人。ダヌ神族を打ち破り、アイルランドを征服します。彼らが現在のアイルランド人の祖先であるとされます。

起源と目的

『来寇の書』は、アイルランドの歴史を聖書に匹敵する壮大な物語として構築し、アイルランド人をキリスト教的世界観に位置づけることを目的としていました。具体的には、以下の3つの目的があったと考えられています。

古い民族集団の記憶を統合し、民衆をまとめること
キリスト教以前の異教の影響力を弱めること
王権集団の出自を説明するための系図を作り上げること

著者は、旧約聖書のイスラエル人の歴史に倣い、アイルランド人の祖先を異国での奴隷化、脱出、荒野の彷徨を経て「約束の地」にたどり着いた民として描きました。この物語は、ゲール土着の神話をキリスト教的な視点から再解釈したものでもあります。

影響と評価

『来寇の書』は、長い間、アイルランドの歴史書として広く受け入れられてきましたが、現代の学説では、歴史というよりも神話であるとみなされています。しかし、この書がアイルランドの文化とアイデンティティに与えた影響は大きく、初期アイルランド文学の中で最も有名かつ影響力のある著作の一つとして位置づけられています。

成立過程と影響

『来寇の書』は、アウグスティヌスの『神の国』やオロシウスの『異教徒に反論する歴史』など、キリスト教の著作から大きな影響を受けています。しかし、キリスト教以前の要素も完全に消え去ったわけではなく、例えば、ダヌ神族の女神が土着の民から夫を得る物語など、古代アイルランドの神話も織り込まれています。

7～8世紀には、アイルランドの歴史を神話的に記述したものがさまざまな文献に散見されるようになり、『来寇の書』の序盤は、これらの古い物語を編纂したものと考えられています。

各版について

『来寇の書』は、成立当初から非常に有名で影響力がありましたが、古いテキストの改変や大量の詩の挿入が行われ、100年以上にわたって編纂される中で、多くの複製と改訂が行われました。現在確認されている主な改訂版は以下の通りです。

第一編集版
解釈版
第二編集版
第三編集版
オクラリー版

現代における分析

長らく歴史書として扱われた『来寇の書』ですが、現代においては神話としての側面が強く認識されています。R・A・スチュワート・マカリスターは、「厳密な意味で言えば、この編集物全体のどこにも、細かな史実に関する要素はただの一つも存在しない」と述べています。しかし、この書がアイルランドの文化やアイデンティティに与えた影響は計り知れません。

ゲール人のアイルランド到来の物語は、キリスト教の書き手がイスラエル人の物語を模倣して創作したと考えられています。また、スキタイ起源説は、ラテン語の「スコティ」と「スキタイ」の類似性に基づいています。

『来寇の書』には、北欧神話との関連性も指摘されており、ダヌ神族とフォヴォーラ族の対立は、原始的な衝突の残響であると考えられています。

一部の研究者は、この書が現実の出来事に大まかに基づいている可能性も指摘しています。T・F・オラヒリーは、ケルト人の侵略が複数回あったとする説を提唱し、『来寇の書』に描かれた侵略の一部は、これに基づいていると主張しています。

結論

『アイルランド来寇の書』は、アイルランドの歴史を神話的に語る壮大な物語であり、アイルランド人の起源とアイデンティティを理解する上で重要な文献です。現代においては、歴史書としての信憑性は低いとされていますが、その文化的、文学的な価値は高く評価されています。

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