アグリッパ・ポストゥムス

アグリッパ・ポストゥムス：皇帝の孫、そして悲劇の主人公

マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ・ポストゥムス。その名は、古代ローマの歴史に短いながらも強烈な影を落とした人物を指します。彼は、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの娘ユリアと、皇帝の側近として活躍した名将マルクス・ウィプサニウス・アグリッパの息子でした。アグリッパ・ポストゥムス、あるいはポストゥムス・アグリッパとして知られる彼は、アウグストゥスの後継者候補として注目を集めながらも、悲劇的な最期を遂げます。

紀元前12年、父アグリッパの死後に生まれたポストゥムスは、「ポストゥムス」の名が示す通り、父の後を継ぐ最後の息子でした。兄にはアウグストゥスの養子となったガイウス・カエサルとルキウス・カエサルが、姉にはユリア・ミノルとアグリッピナ・マイオルがいました。兄たちが相次いで夭折すると、アウグストゥスはポストゥムスを養子として後継者候補に指名します。しかし、彼には強力なライバルがいました。それはアウグストゥスの継子であるティベリウスです。

ティベリウスは既に軍事、行政両面で豊富な経験を積んでおり、ポストゥムスは血縁というアドバンテージを持ちながらも、経験においては大きく劣っていました。アウグストゥスは、自身の余命が短い場合は経験豊富なティベリウスを、もし長く生きられるならば血筋を重視してポストゥムスを後継者とするつもりだったと推測されています。ティベリウスの養子縁組と、彼とアグリッピナ・マイオルの結婚によって、アウグストゥスの血脈が確実に継承される道筋が確保されたと見られます。

しかし、ポストゥムスの運命は暗転します。後継者候補となった直後、粗野な性格を理由にスレントゥムへ追放され、その後は精神異常をきたしたとしてプラナシア島に幽閉されるのです。これらの決定には、実子を皇帝にしたいと考えていたアウグストゥスの妻リウィアの意向が働いていたという説もあります。

紀元14年、アウグストゥスが亡くなると、ポストゥムスは直ちに処刑されました。処刑命令はアウグストゥスの遺言とされた書簡として伝えられましたが、それが本当にアウグストゥスの意思だったのか、リウィアが書き送らせた偽書だったのかは不明です。また、ティベリウスがこの処刑を事前に知っていたのかどうかも謎に包まれています。処刑を報告されたティベリウスの反応は曖昧で、真相究明は行われることはありませんでした。

アウグストゥスは生前、ポストゥムスを含む自分の子や孫を「三つのおでき」と呼び、その話題を避けていたと伝えられます。しかし、『年代記』には、アウグストゥスが最期にプラナシア島を訪れ、ポストゥムスと和解したという噂が残されています。この噂の真偽は定かではありませんが、アウグストゥスとリウィア、そしてティベリウスの関係性を示唆する興味深いエピソードです。

アウグストゥスの死後も、ポストゥムスをめぐる物語は続きます。彼の奴隷クレメンスは、ポストゥムスが生き延びているという噂を流し、騒動を引き起こしました。クレメンスはポストゥムスに似ていたため、彼になりすましてローマに現れましたが、ティベリウスによって捕らえられ、処刑されました。小説『この私、クラウディウス』では、このクレメンスこそがアウグストゥスとの面会後、身代わりとして処刑された人物だとする解釈も提示されています。

アグリッパ・ポストゥムスの生涯は、権力闘争、陰謀、そして謎に満ちた物語です。彼の短い人生は、古代ローマの政治的複雑さと、人間の欲望と運命の残酷さを鮮やかに浮かび上がらせます。彼の死の真相はいまだに明らかになっておらず、後世の歴史家や作家たちを魅了し続けています。

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