アフリカ豚熱ウイルス

アフリカ豚熱ウイルス（African swine fever virus, 略称: ASFV）は、家畜であるブタに極めて重篤な病気を引き起こす原因となる病原体です。この病気はアフリカ豚熱（African swine fever）と呼ばれ、感染したブタは通常、高い確率で死に至ります。ASFVはウイルス学的に、アスファウイルス科に分類される唯一のウイルスとして知られています。そのゲノムは大型の二本鎖DNAで構成されており、他の多くのDNAウイルスが宿主細胞の核内で増殖するのに対し、ASFVは細胞の細胞質内で複製を行うという特徴を持っています。

ASFVの最も特異的な性質の一つは、既知の全ての二本鎖DNAウイルスの中で、ダニのような節足動物によって生物学的に媒介される唯一のウイルスであるという点です。この独自の伝播経路は、ウイルスの生態や感染拡大のメカニズムを理解する上で極めて重要です。

ブタがASFVに感染した場合、発熱、食欲不振、元気消失といった非特異的な全身症状に加え、皮膚の発赤やチアノーゼ（特に耳、鼻、四肢の末端）、呼吸困難、嘔吐、下痢などの症状が現れます。特徴的なのは、全身のリンパ節や内臓、皮膚における広範な出血斑が見られることです。病原性の強いASFVの分離株では、これらの症状が急速に進行し、感染からわずか数日から1週間程度でブタが死亡することがあります。その致死率は非常に高く、時には100%に達することもあります。一方で、ウイルスの系統によっては、比較的軽度な症状で済む場合や、臨床症状がほとんど現れない不顕性感染となる場合もあります。

ASFVはブタに対しては高い病原性を示しますが、ブタ以外の動物に対しては通常、臨床的な病気を引き起こしません。アフリカに生息するイボイノシシやカワイノシシといった野生のイノシシ類は、ASFVに感染しても発症することは稀であり、ウイルスに対する耐性を持っていると考えられています。これらの野生イノシシ類や、オオタカネダニ属（Ornithodoros spp.）の軟ダニが、ASFVの自然な宿主および媒介者として機能し、サハラ以南のアフリカ地域においてウイルスが野生の感染環の中で維持されています。ダニはウイルスを体内に長期間保持し、吸血によってウイルスを媒介するだけでなく、卵を介して次世代にウイルスを垂直感染させる能力も持っています。

ASFVによるアフリカ豚熱は、歴史的には比較的新しい病気として認識されています。20世紀初頭に、ヨーロッパからアフリカに移住した人々が持ち込んだ家畜のブタが、現地のASFVに感染したことがきっかけで初めて確認されました。これは、野生の感染環に存在する病原体が、新たな宿主集団に接触して病気を引き起こす「新興感染症」の一例と言えます。その後、アフリカ大陸内での拡散に加え、近年ではヨーロッパ、アジアへと地理的な範囲を広げており、感染国では甚大な経済的被害を引き起こしています。

アフリカ豚熱の診断を難しくしている要因の一つは、その症状が古典的な豚熱（Classical swine fever, CSF）と非常によく似ていることです。発熱や全身の出血傾向など、臨床症状だけでは両者を鑑別することは困難であり、誤診のリスクが存在します。このため、アフリカ豚熱が疑われる症例については、ウイルスの遺伝子検出（例：PCR法）や抗体検査といった実験室診断を行うことが必須となります。迅速かつ正確な診断は、病気の早期発見、拡散防止、そして効果的な防疫対策を実施するために不可欠です。現在、アフリカ豚熱に対する有効なワクチンや治療法は確立されておらず、発生した場合には、厳格な移動制限や殺処分といった伝播防止対策に頼らざるを得ない状況です。

もう一度検索