アメノワカヒコ

アメノワカヒコ（天若日子、天稚彦）は、日本神話にその名が見える神の一柱です。アメワカヒコ、アマノワカヒコとも表記されることがあります。

神話における役割

神話では、葦原中国（地上世界）を平定するために、高天原から遣わされた使者として登場します。これは、最初に派遣されたアメノホヒが三年経っても使命を果たさず帰還しなかったため、代わって選ばれたものでした。アメノワカヒコは、天津国玉神（アマツクニタマノカミ）の子とされていますが、その系譜に関する詳しい記述は他の部分には見られません。

使命の放棄と悲劇的な最期

葦原中国に降り立ったアメノワカヒコでしたが、彼は本来の使命を忘れ去ってしまいます。地上の支配者である大国主神（オオクニヌシノカミ）の娘、下照比売（シタテルヒメ）の類いまれな美しさに心を奪われ、彼女と結婚しました。そして、高天原に帰還することなく、葦原中国を自らが支配しようと企て、八年もの間、何の報告もせず高天原からの音信を絶ちました。

これを知った高天原の主宰神である天照大御神（アマテラスオオミカミ）と高御産巣日神（タカミムスビノカミ、『古事記』では高木神）は、アメノワカヒコにその真意を問いただすため、鳴女（ナキメ）という名の雉を遣わしました。ところが、その鳴女の声を聞いた天佐具売（アメノサグメ）という神が、鳴女は不吉な鳥であるとアメノワカヒコに進言し、射殺すよう唆しました。天佐具売は人の心の裏側を読むことができる、後のアマノジャクの起源とも考えられる神です。

天佐具売の言葉に乗り、アメノワカヒコは高御産巣日神から遣わされる際に授けられた、天羽々矢（アメノハバヤ）と天之麻迦古弓（アメノマカコユミ）を用いて鳴女を射殺してしまいます。その矢は高天原まで届き、高御産巣日神はそれを見て、矢に「もし天若日子に邪心があるならば、この矢に当たるように」と誓約を立てて、再び葦原中国へと落としました。すると、その矢は他ならぬアメノワカヒコ自身、寝所で眠っていた彼の胸に突き刺さり、彼は命を落としました。

死後の出来事

アメノワカヒコの死を知った下照比売は、悲しみに暮れて激しく泣き叫びました。その泣き声は天上にまで響き渡り、父である天津国玉神はこれを聞きつけ、地上に降り立ちました。そして、手厚い葬儀として仮の殯宮（もがり）を建て、八日八夜にわたり丁寧に殯を行いました。

この殯の場には、下照比売の兄である阿遅鉏高日子根神（アヂスキタカヒコネノカミ）も弔問に訪れました。ところが、阿遅鉏高日子根神の姿が、死んだばかりのアメノワカヒコに酷似していたため、父の天津国玉神や妻の下照比売は、アメノワカヒコが生き返ったと勘違いして抱きつこうとしました。これを穢らわしい死者と間違われたと感じた阿遅鉏高日子根神は激怒し、「自分を汚らわしい死者と見間違えるな！」と叫び、腰に帯びていた神渡剣（カムワタシノツルギ）を抜いてその喪屋を切り倒し、さらにそれを蹴り飛ばしてしまいました。この喪屋が飛び去った先は、美濃（現在の岐阜県）の藍見（あいみ）にある喪山（もやま）であると伝えられています。

考証と別説

「ワカヒコ」という名は「若者」という意味であり、アメノワカヒコには通常「神」「命」「尊」といった尊称が付かないことについて、これは名が普通名詞に由来するためとする説と、高天原からの使命に背き反逆したためであるとする説があります。

また、アメノワカヒコの遺体を納めた喪屋の場所についても異説があります。『古事記』では地上に建てられたとされていますが、『日本書紀』では疾風（はやち）によって遺体が天に引き上げられ、喪屋は天上に作られたと記述されています。

さらに、アメノワカヒコと阿遅鉏高日子根神が瓜二つであったことから、元々は同一の神であったとする説も存在します。この説によれば、アメノワカヒコの死は古い姿の終わりを、阿遅鉏高日子根神としての姿は新たな再生を象徴しており、秋に枯れて春に芽吹く穀物や、冬に弱まり春に再び輝きを取り戻す太陽のサイクルを表していると解釈されることがあります。

伝承と信仰

高天原からの使命を忘れ、地上の娘との恋に溺れ、ついには天に背いて命を落とすという、悲劇的かつ反抗的な側面を持つアメノワカヒコは、民衆の間で一定の人気を博しました。平安時代の『うつほ物語』や『狭衣物語』では天若御子の名で、室町時代の『御伽草子』に収められた『天稚彦草子』では天稚彦の名で登場し、いずれも類まれな美男子として描かれました。

アメノワカヒコを唆した天佐具売が、後に伝承上の存在である「アマノジャク」の起源になったとする説があります。一方で、アメノワカヒコという名が「アマノジャク」とも読めることから、アメノワカヒコそのものがアマノジャクであるとする説も唱えられています。

アメノワカヒコを祭神として祀る神社は多くはありませんが、滋賀県愛荘町の安孫子神社のように穀物神として、また兵庫県宝塚市の売布神社や鳥取県湯梨浜町の倭文神社のように下照比売の配祀神や主祭神として祀られている例が見られます。特に、喪屋が飛来したとされる岐阜県美濃市大矢田には、喪山天神社や天王山祖霊神社があり、アメノワカヒコを祭神として祀っています。

このように、アメノワカヒコは神話の中で重要な役割を担いながらも、その悲劇的な物語や考証上の様々な解釈、そして後世の文学作品への影響など、多角的な側面を持つ神として知られています。

主な関係地・神社
喪山天神社（岐阜県美濃市）
天王山祖霊神社（岐阜県美濃市）
安孫子神社（滋賀県愛荘町）
天稚彦神社（滋賀県豊郷町）
天稚神社（京都府南丹市）
賣布神社（兵庫県宝塚市）
* 倭文神社（鳥取県湯梨浜町）

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