アリス・ギイ

アリス・ギイ（またはアリス・ギイ＝ブラシェ、1873年7月1日 - 1968年3月24日）は、フランス出身の映画監督、脚本家、そして映画プロデューサーとして知られています。彼女は映画史において、初めて監督を務めた女性であり、映画が誕生したばかりの1896年から1920年という草創期にかけて、フランスとアメリカ合衆国で1000本を超える作品を手がけました。物語性のある映画を初期に制作した監督の一人であり、黎明期のトーキーやカラー映画にも取り組み、さらには特殊効果や現代に通じる映画演技法を取り入れるなど、革新的な映画的技法を数多く開拓しました。その偉大な功績により、アリス・ギイはリュミエール兄弟やジョルジュ・メリエスと並び称される、映画のパイオニアとして位置づけられています。

生涯

アリスは、1873年にフランスのパリ郊外で生まれました。父親はチリで書店や出版社を営んでおり、幼少期の一部をチリやスイスで過ごしました。父親の破産と死という困難な時期を経て、パリでタイピングと速記の訓練を受け、秘書として働き始めます。

ゴーモン社時代

1894年、アリスは写真会社（後のゴーモン社）のレオン・ゴーモンの秘書となります。会社が映画製作を開始すると、アリスはその製作部門を実質的に任されるようになります。彼女は子供の頃から物語や演劇に親しんでおり、実写の記録映像が主だった当時の映画に対し、筋書きのある物語映画を作ることをゴーモンに進言しました。ゴーモンの許可を得て、1896年頃とされる『キャベツ畑の妖精』を監督します。この作品が多くの映画史家によって、アリスを物語映画の最初の監督の一人と見なす根拠となっていますが、その製作年については現在も議論があります。

1901年頃にはゴーモン社の製作責任者となり、退任する1907年までに数百から千本以上の作品を監督またはプロデュースしたと言われています。トリック映画や旅行映画など当時の主流ジャンルに加え、メロドラマ、コメディ、ファンタジー、ホラーなど多彩なジャンルを手がけました。また、フィルムの逆回転、オーバーラップ、スローモーション、マスキング、二重露光といった当時の革新的な特殊効果を積極的に使用し、『最初のタバコ』ではクローズアップを用いて劇的な効果を生み出しました。多くの作品は、女性従業員による手作業で彩色されました。

1902年には、ゴーモン社が開発した初期のトーキーシステム「クロノフォン」を用いた短編サウンド映画「フォノシーン」を100本以上製作。オペラ歌手や人気のミュージックホール歌手を起用した作品などを監督しました。1905年頃からは、より長い物語映画にも挑戦し、ヴィクトル・ユーゴー原作の『エスメラルダ』（1905年）や、300人以上の出演者と大規模なセットを用いた野心的な大作『キリストの生涯』（1906年）を監督しました。

アリスは女性ならではの視点を反映した作品も手がけました。『フェミニズムの結果』（1906年）では男女の役割が逆転した世界を描き、当時のダブルスタンダードを皮肉る先見性を示しました。また、勇敢で冒険的な女性像を描くことを好み、ジェンダー規範への関心の高さをうかがわせています。彼女の元からは、ルイ・フイヤードなど初期フランス映画を代表する人物が育ちましたが、男性優位の業界の中で、アリスは次第に偏見や嫌がらせに直面するようになります。

結婚と渡米、アメリカ時代

1907年、アリスはゴーモン社のカメラマンだったフランス系イギリス人のハーバート・ブラシェと結婚します。直後、ゴーモン社がクロノフォンの特許権をアメリカ企業に譲渡したのに伴い、夫と共にアメリカへ渡ります。1908年にはニューヨークのゴーモン社スタジオの管理を任されますが、長女の出産を機に一時的に映画製作から離れました。

1910年9月、アリスはゴーモン社のスタジオ敷地を利用して自身の映画会社「ソラックス社」を設立し、社長兼チーフディレクターとして本格的に活動を再開します。1912年にはニュージャージー州フォートリーに近代的なスタジオを建設。フォートリーは、後にハリウッドが台頭する以前のアメリカ映画産業の中心地でした。ソラックス社は週に3本もの短編を製作し、アリスはその半数以上で監督を務め、全ての作品をプロデュースしました。彼女の生産スピードは、当時のバイオグラフ社のD・W・グリフィスに匹敵したと言われています。

アメリカ時代も、アリスは恋愛、コメディ、西部劇など多様なジャンルを手がけ、アメリカ人俳優を起用して商業的成功を収めました。同時に、社会問題を扱った意欲的な作品も制作しました。キャスト全員がアフリカ系アメリカ人による最初の物語映画の一つとされる『愚者とお金』（1912年）などが代表例です。1913年、ハーバートをソラックス社の社長に据えますが、翌年にはハーバートが自身の会社を設立し、ソラックス社の事業を吸収します。アリスはハーバートと共に長編映画を製作・監督しますが、1918年にハーバートが破産。子供を寄宿舎に預け、アリスは最後の監督作品『さまよえる魂』（1920年）を撮影中にスペインかぜに罹患します。ハーバートとの関係も悪化し、1920年以降、監督業から完全に引退しました。

その後の人生

1921年にスタジオを売却し、1922年にハーバートと離婚したアリスは、子供たちと共にフランスへ帰国します。故国での再起を目指し映画企画を進めますが、経済状況の悪化などにより実現せず、再び映画業界で働くことは叶いませんでした。その後は娘の仕事に伴い各地を転々とし、短編小説執筆などで生計を助けました。1964年に脳卒中を起こし、晩年は娘の介護を受けながらアメリカで暮らし、1968年に94歳で亡くなりました。生前に執筆した自伝は、没後の1976年にようやく出版されました。

人物像と評価

アリスは小柄で上品な女性でしたが、内に秘めた情熱と強い意志を持っていました。常に新しい知識や技術に好奇心を持ち、映画業界における女性の可能性を強く信じていました。撮影現場では決して感情的にならず、物静かに指示を出すことで俳優やスタッフを率いる手腕を持っており、「まるで軍隊を指揮するよう」と評されました。

映画史において、アリスは世界初の女性監督であり、自身のスタジオを所有・運営した初の女性でもあります。しかし、その偉大な業績は長年にわたり、男性中心の映画史観や記録の不備により忘れ去られていました。サドゥールの『世界映画全史』のように、アリスの監督作品が別の人物の作品とされたり、彼女の功績が矮小化されたりしました。アリス自身も生前、記録の修正を試みています。

1950年代以降、初期映画への関心が高まる中でアリスの存在が再び注目され始め、1970年代以降のフェミニスト映画研究の隆盛と共に、正当な再評価が進みました。今日の映画史研究では、物語映画を創出し、多様な技法や自然な演技法を導入した「映画の文法を創った一人」「最初の本物の映画作家（auteur）」として、映画史初期の最も影響力のあるパイオニアの一人と広く認められています。ヒッチコックやエイゼンシュテインといった後世の巨匠たちにも影響を与えたことが明らかになっています。

遺産と顕彰

アリスは生前にレジオンドヌール勲章などの称賛を受けました。没後もその功績を称える活動が続けられており、全米監督協会へのメンバー入りや生涯功労賞受賞、ニュージャージー州殿堂入りなどが実現しました。ニュージャージー州フォートリーやフランスでは、アリスの名を冠した映画賞や広場が設けられ、その遺産を後世に伝えています。アリスの作品の多くは失われたと考えられていましたが、世界的な調査と保存活動により、今日では約150本の作品が現存が確認されています。彼女の作品は、女性映画祭などで上映され、再評価が続いています。

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