アルベルティーニの聖母

ティツィアーノの傑作『アルベルティーニの聖母』

『アルベルティーニの聖母』は、ルネサンス期のヴェネツィア派を代表する巨匠、ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1560年から1565年頃に制作した油彩画です。この作品は、ティツィアーノ晩年の円熟した筆致と、深い精神性が込められています。元々はミラノのマゼンタ侯爵家が長らく所蔵していましたが、ジャーナリスト・政治家のルイージ・アルベルティーニが所有したことから、この名で知られるようになりました。現在は、ヴェネツィアのアカデミア美術館に所蔵されています。

作品の特徴

この作品は、比較的小型の画面に聖母マリアが幼児のイエス・キリストを膝に抱いて座る姿を描いています。聖母マリアは赤い衣をまとい、灰青色のマントを肩にかけ、頭にはヴェールを被っています。聖母マリアと幼児キリストは見つめ合い、母子の深い愛情が感じられますが、聖母マリアの表情は暗く沈んでいます。

聖母マリアは右手で幼児キリストの背を支え、左手でキリストの左手を握っています。しかし、その左手にはキリストの左手とは別に何かを握っており、キリストもまた左手でそれに触れています。美術史家のアウグスト・ジェンティーリは、この物体が林檎であると指摘しています。林檎は原罪の象徴であり、キリストが人類を救済するために十字架で磔にされる運命を暗示していると考えられます。

さらに、幼児キリストの右手が力なく垂れ下がっている様子は、古代の浮彫り『ポリュクレイトスの寝台』に彫られた眠る男性の腕の表現から引用されています。眠りはしばしば死の象徴として用いられ、ルネサンス期の芸術家たちは死を連想させるためにこのポーズを引用しました。これらの要素から、聖母マリアはキリストに待ち受ける受難の運命を予見し、その表情は悲しみに沈んでいると解釈できます。

背景には、『旧約聖書』の「出エジプト記」に登場する「燃える柴」が描かれています。「燃える柴」は、モーセがホレブ山で神の啓示を受けた際に現れたもので、燃えても燃え尽きない不思議な現象です。中世以降、「燃える柴」は処女性を失うことなくキリストを身ごもった聖母マリアの象徴とされ、ティツィアーノの晩年の代表作の一つであるサン・サルバドール教会の『受胎告知』にも描かれています。

制作過程と修復

X線調査により、この作品のキャンバスには元々別の聖女が描かれていたことが判明しています。ティツィアーノはキャンバスを再利用するために、聖女の像を塗りつぶし、キャンバスを逆さにして聖母子を描いたようです。このことからもわかるように、作品は速く荒い筆致で描かれており、光の表現も震えるような印象を与えます。これらの特徴は、ティツィアーノ晩年の様式を良く表しています。

作品の保存状態は良好とは言えません。過去の修復で洗浄が行われた際、幼児キリストの顔色や聖母のマントが損傷し、陰になっている部分は完全に失われてしまいました。また、幼児キリストの足は大部分が塗り直されています。2005年に修復が行われましたが、状態の悪さから塗り直しの除去は見送られました。

来歴

この作品は、1616年から1879年までミラノのマゼンタ侯爵家が所蔵していました。その後、侯爵家の子孫であるピネッティ・マルティネンゴ家を経て、ルイージ・アルベルティーニの手に渡りました。1981年、ルイージの息子レオナルド・アルベルティーニによって、アカデミア美術館に寄贈され、現在に至ります。

まとめ

『アルベルティーニの聖母』は、ティツィアーノの晩年の傑作として、その卓越した描写力と深い精神性が高く評価されています。聖母マリアの表情や象徴的なモチーフは、観る者に様々な感情や解釈を促し、時代を超えて人々の心を捉え続けています。

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