アンリ・マスペロ

アンリ・マスペロ：東洋学の巨星と悲劇的な最期

アンリ・マスペロ (1883年-1945年) は、20世紀を代表するフランスの東洋学者です。その名は、エジプト学で知られるガストン・マスペロを父に持つことからも、学問への道を歩む運命にあったと言えるでしょう。

パリに生まれたマスペロは、当初は父の後を継いでエジプト学を志し、エジプトでの調査に同行するなど、エジプト学への関わりも持っていました。しかし、その後フランスに戻ると、法学の勉強をしながら、著名な東洋学者エドゥアール・シャヴァンヌに師事し、中国語や東アジアの諸言語を深く学びます。この転向が、彼の後の輝かしい研究人生を決定づけました。

1908年、マスペロはフランス極東学院ハノイ支部へ勤務。東南アジア諸民族の言語や文化風習を研究し、その知見を深めていきました。そして1918年には、師であるシャヴァンヌの後任としてコレージュ・ド・フランスの中国学教授に就任。この栄誉は、彼の卓越した研究能力と学識を証明するものです。

コレージュ・ド・フランス教授在任中は、ベトナム史、ベトナム語、古代中国史、仏教史といった多岐にわたる分野で精力的に研究活動を行い、それぞれの分野で大きな足跡を残しました。1922年には道教に関する論文を発表、1927年には中国研究の基礎文献として現在も高く評価される『古代支那』を著すなど、その研究成果は目覚ましいものがありました。1928年には日本に滞在し、3年間の日本での研究生活を送っています。1930年代には、中国の宗教、法律、経済に関する研究も数多く発表し、学界に多大な貢献を果たしました。さらに、ソルボンヌ大学中国学教授、高等研究実習院中国宗教学部長といった要職にも就任しています。彼の功績は1928年のフランス文学院スタニスラス・ジュリアン賞受賞にも表れています。

しかし、マスペロの生涯は、悲劇的な結末を迎えることになります。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの占領下にあったフランスで、1944年7月、テロ活動容疑で逮捕され、ブーヘンヴァルト強制収容所に送られてしまいました。当時、ドイツで唯一の非ナチ党員であった中国学者、エーリヒ・ヘンシュは、マスペロの釈放に奔走しましたが、その努力も実らず、マスペロは1945年3月、連合軍による収容所解放を目前に、収容所内で衰弱死しました。

マスペロの死は、学界に大きな損失をもたらしました。彼の業績は、現在も高く評価されており、『道教』は、日本の道教研究においても古典的名著として、幸田露伴の『論仙』と並び称されています。息子のフランソワ・マスペロも翻訳家として活躍しており、父譲りの知性を継承しています。

アンリ・マスペロの生涯は、学問への情熱と、戦争の残酷さを同時に示す、痛烈な歴史の証言となっています。彼の残した膨大な研究成果は、現代においても東洋学研究の礎として、世界中の研究者たちに読み継がれ、その影響を与え続けているのです。

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